僕と君と双子の話 -The R&B children-



「アサギ。おい、アサギ起きろ」
「う、うぅん……?」
 肩を揺すられながら呼びかけられ、僕は手放していた意識の欠片を手繰り寄せた。
 定まっていなかった焦点が収束する。目前には、前髪の一部を真っ青に染めた不良野郎の顔があった。
 僕が起きた事で弓なりに曲げられた目蓋の先には、日本人とは思えない青。当然カラーコンタクトである。
 名前を西園葵という、クラスメイトだった。
「アオイか……このクドウアサギの安眠を妨げるとは、ついに改心してこの世から立ち去る覚悟ができたようだね」
 脳に血が回っていない為か、指示伝達の遅さに業を煮やした言語野が半ば自動的に言葉の羅列を生成する。
 関連して内容を沿うように両の手が指を鳴らした。
 無自覚の殺意が僕の意思とは関係なしに貫き手を放つが、何やら覚醒状態に入っているらしい葵には通じなかったようだ。
 僕の手首をがっちり固定したまま、呆れるようにヤツは告げる。
「おいおいまてまて、俺が勝手に悟りを開いちまったら、世界人口の半分マイナス一名が集団自殺するぞ。いいのか? 世界で残る女がヒイロ一人という現実に、お前は耐えられるのか?」
「仮に世界人口の半分がそうなってもボタンさんだけは大丈夫だし、いの一番に君の後を追うのは間違いなくヒイロだ」
 ボタンとは、僕のお目付け役である久遠家の煙草が似合わない侍女様であり、ヒイロというのはこの愛すべき大馬鹿野郎の妹のことである。
 花の牡丹と、色をとった緋の一文字で、ヒイロ。どちらも赤い印象な名前である。
 尤も、美咲牡丹が名前の通り可憐なのに対して、後者は名前の如く恐ろしい女なのだが。
「まあ、ヒイロ一人になった時生きていられないのはその通りだけど。アイツは僕に並々ならない殺意を抱いているしね」
 何たって、究極のナルシストにして最強のブラコンだから。
 葵が死んだら、本当にアイツは僕を襲うだろう。
「ま、そういうことだ。で、本題だが」
 意味もなく想像するのが滅入る前置きを終わらせて、葵は厳かな雰囲気を作る。
 どうせいつもの下らない馬鹿話だと思いつつ、その表情に若干精神を引き締めた。
「頼む、ボタンさんを俺にくれ。絶対に幸せにしてみせるから!」
「―――」
 はぁ……。
 西園葵。我が愛すべき侍女様である美咲牡丹に惚れている猛者。
 しかし真に問題なのは、自分が愛していない女は世界中で緋一人だ、と公言している事だろうか。 そのちっぽけな存在一つで、全人類の半数マイナス一名を相手にしようとする気概は買わないでもないのだが。
「分かった。アオイ、ちょっと目を閉じてて」
「良いのか! よし、じゃあ気合入れて閉じる!」
 目蓋を下ろす行為のどこに気合を入れる余地があるのかは知らないが、もはや突っ込まずに僕は立ち上がる。
 そのまま特に足音も気にせずやつの背後に回った。えっと、最初は左足だっけ?
「動かないでね、かけられないから」
「ああ、動かないとも!」
 いい心がけだと暗い笑いを心中で漏らしながら、僕は右腕もヤツの体に絡めた。
 男の体に密着するのは正直言って気持ち悪いが、周りの視線はそうでもない。
 僕が何をしようとしているか、一目瞭然な為だろう。知らないのは本人ばかりなり。
「目あけて、いいよ」
「なあアサギ、訊いていいか」
「いいけど、きくだけね」
 ああ、それで構わない。とわりと潔い感じで呟いた。その精神構造には素直に賞賛を送りたいと思います。
 まじでまじで。
 だって、君、今死体一秒前。
「俺、どうなんの?」
「こうなんの」
 おりゃ、と緩ませていた体を引き締めた。
 その体勢は我ら若年層の伝説に曰く、コブラツイストと言われる奥義である。
 おお! と周囲から歓声が沸いた。いえいえ、どうもどうも。
「ぐおぉおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「全く、人の大切な、メイドさんを、君みたいな輩に、任せられるわけ、ないだろう」
 平坦に呟きつつも、込める力を緩めることはない。
 ギリリ、ギリリと軋みながら、人としてダメな方向へと彼のカタチを導いていった。
 そして、もはや呻き声さえ満足に出せず、ギブギブと苦悶に満ちた表情で喘いでいる事実に満足し、僕は拘束を解除する。
 男の体に絡み付いていて楽しいわけでもないし。
「……で、何か言うことは?」
 制服が汚れるのにも構わず、床の上で切実な呼吸を繰り返している良家の子息に、僕は笑みを浮かべながら問うた。
 僅かに顔を上げる葵。軋みに苦しむ顔に、僕を見た途端、何か別の色が差す。
「俺が言え、る事は一つだけ、だ」
 表情の変化が何を示したのかを問い質す前に、彼は切れ切れに台詞を続けた。
「お前はもう」

「死んでいる――ってね」

 唱和した声は背後から。
 そのときの僕の心境を例えるなら、まさしく蛇に睨まれた蛙だろう。
 まだしも身動きが取れたのは、僕は頭の後ろに眼球がついている種族ではなかっただけに過ぎない。
 スゥ、滑らかな動作で手首を捉まれた。 優しげな手付きで、触られた肌は熱い。ついで、背中にやわらかいものが押し付けられる感触。
 油の切れた機械さながらの動きで首を後ろに回せば、満面の笑みを浮かべている西園葵の姿。
 否、ヤツは目の前で倒れている。立ち上がる事もできない敗北者が浮かべている表情は、しかし今捕食されんとしている小動物を見る目。
 僕に抱きついているのは女だった。葵と同じ顔、同じ声、けれど髪には青いメッシュなど入っておらず、かわりに細やかな赤いリボンが二つ。兎のようなツインテイルと、勝気に釣りあがった目尻が印象的だ。
 いっそ不健康なほど青白く透き通った肌に、血に濡れたようなルージュが不倶戴天の笑みを浮かべていた。
「ねぇ、降伏条件とか、ある?」
 それでも中世的な顔立ちは、笑顔であるがゆえに親しみやすい。それが捕獲の為の疑似餌であるとしても、希望を抱かせるには十分だ。
 だから、ダメで元々、と訊いてみただけ。すぐ目の前にある危機を前に、理性が逃避を指示しただけだ。
 パンドラの箱には、災厄と一緒に希望が入っていたという。
 ――なんて愚かな勘違いだ。災厄の箱に入っていたなら、それさえも災厄であるに決まっている。
 希望は絶望への供物なのだと、僕は知っていたはずなのに。
 そう、彼女の名は西園緋。
 葵の双子の妹にして殆ど同じ顔立ちのクラスメイトにして究極のナルシストにして最強のブラコンにして僕の天敵である彼女は。
 青い空のようにアッサリとした兄と対をなすように、緋色の熱情を持つ彼女は。
 己が愛する顔を持つ者を傷つけた代償に、ハムラビ法典並みの作法を引用するらしかった。
 死にたくないなあ……。けど、無理だろうなあ。
 内心の僕の諦めに同意するように、彼女は笑顔のまま告げた。

「問答無用」

 ***

「と、そういう次第でして……いたた」
 ピアニストのような細く綺麗な指が、湿布を僕の腰に貼り付ける。
 湿布の冷たさと、彼女の指の滑らかさに内心ドギマギしながら、僕は昼のことを話し終えた。
「なるほど。それはお悔やみを申し上げます。……はい、今度は上を」
「いや、別に死んじゃいませんし。――っ、あと、もうちょっと優しくできませんか」
 それは命令ですか、といつものように僕の要請はスルーして、わりと強引に服を捲り上げる。
 美咲牡丹。僕専属のメイドさんは、西園緋のサブミッションフルコースの餌食なった僕の体を、まるで物でも扱うように手当てしていた。
 「ッ……それにしてもヒイロめ。ハムラビ法典どころじゃないぞ、これは……」
 目には目を、歯には歯を、関節には関節を。しかし、本来タリムの法は報復の無限連鎖を止める為に、同等の刑罰を是とするのが主旨なのだ。
 ゆえに、ギブアップしても許さない鬼のフルコースは、どう考えてもその範疇には入らない。
(く、ヒイロ相手に同等の仕返しを期待したのがそもそもの間違いだったか)
「それは、旦那様の見込み違いというものです」
 内心を読んだように、彼女は僕の間違いを指摘した。
 多少の驚きはあるが、西園緋の気性と僕への敵愾心を知っている者から見れば、むしろ当然の帰結かもしれない。
 究極のナルシストにして最強のブラコン。同じ顔をこよなく愛する性格破綻者。
 己の分身の親友さえ嫉妬の対象になる、生きる地獄みたいなヤツなのである。
「嫉妬とは得てして強いもの。あの方の神経を逆撫でしてこれで済んだのなら、喜ぶべきですね」
 常の如く無表情で牡丹は続けた。けれど、よくよく考えると、彼女にしてはかなり饒舌なのではなかろうか。
「あいつのは特別というか、異常ですけどね……。それにしても」
 僕が言葉を切ったので、なんでしょうか、と彼女は相槌を打つ。
 一瞬言うべきか言わざるべきかと迷ったが、好奇心が勝利した。
「妙に、ヒイロの事を庇いますね」
 別に悪い事ではないのだろう。
 しかし、性質的に正反対である二人だ。
 どちらも互いを苦手に思っているものとばかり思っていたのだが。
「これでも女ですから」
 僕の疑問に、やけにあっさりと、けれどとても意外な応え方をして、美咲牡丹は立ち上がった。
「終わりました。少々痛んでいますので、今日は湯浴みは控えてください。後ほど、お体を拭かせて頂きますので」
「そ、それくらい自分でやります。もういいので仕事に戻ってください」
 侍女としてはそれほど奇異な提案ではないはずだったが、年頃の男にその台詞は酷だということを分かってほしい。
 慌てて返した声に少々そっけない響きが混じってしまった。
 彼女は一瞬眉を顰めた気がしたが、次の瞬間にはいつも通りの鉄面皮に戻っている。
 葵曰く、氷薔薇。緋曰く、歩く能面。
 完全無欠の侍女様は、そうですか、と一言返してそっけなく仕事に戻っていった。
「あー……それにしても」

ちょっともったいなかったかなと思ったかどうかは、僕の名誉の為に伏せておくとしよう。



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