「絶望って、何だと思う?」
「交通事故」
「……じゃあ希望は?」
「線香花火」
「変わってるよな、お前……」
「景史さんにだけは、言われたくないわ。それより、貴方はどう思うの?」
「絶望と、希望か」
「そう」
「絶望は、通り魔みたいなもんだな」
「じゃあ希望は?」
「さあな」
「あ、ズルイ」



NOIR Epilogue




「秋葉、これから空いてる?」
「ごめん京子。今日はちょっと用事かあるの」
 冬の、とある日の放課後。
 皆がガヤガヤと笑いながら下校する中、声をかけられた。私は、急いでいた足をとめる。
 京子が着ているのは濃紺のコート。私のコートと対を成すような鮮やかさだ。
「あー、そうなんだ。ちょっと残念かな。まあ用事があるなら仕方ないよ、うん」
 彼女は、残念という言葉を使いながらも、妙に嬉しそうに軽快に歩く。
 時折翻るの裾が太陽の光を受けて、その色を際立たせた。
 そこにいるだけで、周囲ごと元気にしてしまう明るさ。
 長身だが、子供のようにはしゃぐさまが目を引く可愛らしい少女である。
「なんか、残念がってるように見えないけどね。一体何があるの?」
 私はさっさと先に進んでしまう京子の後を、小走りで追うように歩きながら問いかけた。
 それらを全く気にしないように、彼女はあくまでマイペースに進んで行く。
「えっとねー、これから真一と映画見に行くんだけど、何なら秋葉も連れてってあげようかなって」
「遠慮しときます。例え死ぬほどヒマでも遠慮しときます。カップルのデートなんかについていったら不愉快なことこの上ないわ、きっと」
 そんなことを言いながら、二人であははと笑いあった。
 最中、気付かれないようにそれとなく、目の前ではしゃいでいる京子を見つめる。
 京子は一時期、とても複雑な状態にあった。
 ソレを深く思い返す事はしない。けれど、彼女の明るさはきっと彼女だけの力でない。
(頑張ったみたいね、遠藤君)
 複雑な道を歩きながら行き着いた恋に、彼女はとても満足しているらしい。
 自分がそれを壊さなくて良かったと、心の底からそう思った。
「はーもう、それじゃあね。遠藤君と仲良くしなさい。もう別れたりしないでよ」
 そう言って笑いながら秋葉は道を曲がろうとする。
 すると、それまで浮かれていた様子だった京子が急に真剣そうな、しかし嬉しそうな表情で言った。
「ああ、そうだ。秋葉しってる? 夏野君、後輩の女の子と付き合い始めたんだって」
「――え?」
 その言葉に、秋葉は歩みを止めて振り返る。
「このあいだ言ってたよ。もう、吹っ切れた。栩野さんより可愛い女の子見つけてやる、だってさ」
 その、どこかで聞いたような言葉に、思わず吹き出してしまった。
「それは良かった……もう、今度からは気兼ねなく話せそうね」
 夏野佳人。少し前に秋葉に告白をして振られた少年。
 今回の件では加害者であり被害者であり蚊帳の外だった少年だ。
 今思えば、彼が一番損な役割だった気がする。
 あれ以来かなりギクシャクした関係になってしまった。が、もうその心配はなさそうだ。
 やっと親友と和解できそうなその事実が、純粋に嬉しかった。
「ありがとう京子。お礼に今度取って置きの良い話聞かせてあげるわ」
 本心でそういうと、京子はわざとらしく顔を歪めて拒否のポーズをとる。
「うわっ、もう嫌よ。秋葉の良い話ってただのおのろけなんだもん」
「ふふふ、覚悟しておきなさい。たっぷりと聞かせてあげるから。じゃあね」
 そう別れを告げて、私は今日の予定を思い出す。とりあえず時計を見る前に走った。
 今日は、早く帰らなければならないのだ。
 急いで定期を通し、発信直前の電車に飛び乗る。
 扉が開くと同時に飛び降り、素早く改札を抜けて駅を出た。我ながら、完璧といえる疾走具合である。
 家は駅に割かし近い位置にあるため、スピードを落とさずに走り抜ける。
 息を乱しながらもとおりの角を曲がると、秋葉の住む家が、本来の家ではないけれど、帰るべき場所があった。
 勢い良く扉を開け、靴を素早く脱いで玄関を突破。
 リビングに鞄を投げ捨てて、一気に階段を上がる。
 そして突き当たりの部屋のドアが見えて、
 思いっきり開いた。

 すると、ソファーに座って本を……いや、何かの紙束を読みふけっている一人の青年を発見する。
(やっぱり……!)
 その姿を半ば予想していながらも、息を乱して私は言った。
「ハッ、ハッ……ハ……っけ、景史さん!」
 私の出した大声に、ドアをぶち開けたときでも反応しなかった青年――栩野景史はちらりとこちらに目線を向ける。
 が、直ぐに興味を失ったように手元の紙束に目を落とした。許すまじ。
 その態度がとさかにきて、私は大股でにじり寄る。
「心配に思って、急いで帰ってきたら案の定。なに暖房もつけないでそんなもの読んでるよ!」
 大声が響いたか、妙に気だるげに顔をしかめて、景史は言った。
「お前の声、煩い……頭に響く。もう少し静かに喋ってくれ」
 二日酔いのような表情で、本当に頭が痛いといった風に額を押さえる。
 が、そんな態度には動じない。動じている場合ではない。私はさっさとやるべき事を行動に移す。
「頭が痛いのは私のせいじゃないわよ。ほら、これつけて」
 素早く景史のそばまで近寄ると、テーブルにおいてあった棒状のものを突き出す。
 景史はそれを三秒ほど見つめた後、諦めたようにため息をついて、それをわきの下に挟んだ。
 そして数分後。ピピピ、と電子音特有の軽い音
 私は景史の腕を掴み引き上げる。問答無用の動作、大切になど扱ってやるつもりはなかった。
 くぐもった声を出す景史には構わずわきの下に挟んだ棒状の物体――体温計を取り出す。
 二秒でチェック完了。
「ヤッパリ……、景史さん。あれほど言ったのに寝て無かったわね? 七分も熱が上がってるわ」
「もし、本当に看病するつもりがあるなら、俺の身体をぞんざいに扱うのは止せ。……大声もなしだ」
 若干不機嫌そうに、しかしそれ以上に気だるそうに景史は言う。
 そう、景史は今風邪を引いているのだ。しかもわりと重めのヤツを。だから私は景史にきつく言い渡してたのだ。自分が帰ってくるまで絶対に寝てろ、と。
 もちろん、問答無用の命令形だった。
「何を言ってるのよ。私の言うこと聞かなかった景史さんが悪いの。ほら、大人しくベッドに戻りなさい」
 まだぶつぶつ何か言っている景史を無理やりベッドに寝かしつけ、秋葉はやっと落ち着くことが出来た。
 ベッドに入ると景史は脱力したように眠る。当たり前だ、病人なのだから。
 最初のうちは何故か起きていようと無駄な抵抗をしていたが、おでこを撫で付けると途端に大人しくなった。
 ここ数日で何となく解ったのだが、栩野景史という人物は結構甘える性格らしい。
 普段は、絶対に隙など見せないのだが、たまに疲れて油断している時など、今のように扱うと直ぐに弱くなる。
 それが楽しかった。もう眠った景史の額をもう一度撫でる。言葉に出来ないが感触がイイカンジだ。
 栩野景史は戸籍上、兄に当たる。血はつながってはいない。
 世間的には兄妹という認識ではあるが、二人の認識は恋人だった。
 まあ、恋人という関係になる前……つまり数日前と今を比べても大した変化は無いのだが。
 せいぜい、景史のことを兄と呼ばなくなった事くらいだろう。
 けれど、今はそれで良い。はじめから、多くは望まない。
 もし、どちらかが今のままで我慢できなくなったら、その時相手を求めれば良いだけの話なのだ。
 兄妹だろうと恋人だろうと、私たちは家族である事に変わりはないのだから。
 だから今度は景史の手を握ってみることにした。彼のぬくもりがもう少しだけ欲しかった。
 いつか私が、そして彼が互いを求めることが出来る日が来れば良いと思う。
 だから、そのときまでは焦らず。いつかきっと、もっと近くなれる時が来るだろう。
「ねえ、景史さん。今、楽しい?」
 眠る彼への聞こえぬ問いかけ。
 握った手を、景史が握り返したような気がした。
 それは、まるで秋葉の問いに答えているようで。

(意識があるんだか、ないんだか。まあ、それはともかく――)
 心の中で、やっと言える様になった台詞を告げた。

 樋坂秋葉さん。私は、貴女が羨むほど幸せな人生を歩んでいます。



Fin




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