Tale−Dried Flower−

 
Other-6



 私は、眼前で佇む男を見つめながら、内心では悲鳴を上げる体を抑え付けていた。
 怖い訳じゃない。危険がある訳でもない。むしろ逆だ。危ないのは自分自身、許容量を超えた咒法の行使によって神経が断裂寸前にまで陥っている。
 男――ヘイズに悟らせないよう、私は静かに溜息を吐く。酷い頭痛を堪えながら、彼の隣で伏している死体を眇めた。
 死体を操るのが私の咒法である事は確かだ。予めシフォナに渡していた遠隔端末が、彼女が死ぬ事によって起動。神経を介して彼女の脳を支配し、その脳細胞を演算装置として代用、命令を実行する。
 否、正確には致命傷を受けた直後に起動する設定になっていた端末は、シフォナが脳死する前に彼女の人格を乗っ取った。だから脱出に必要な情報は全て彼女自身が提供する。後は本人の咒力を端末が無理やり引き出して自立行動、私の所まで帰ってくる手筈だった。
 数操士の特性と調律者プログラマの権限を併用して、やっと実現可能な禁忌咒法。死体の自立行動など、恐らく大陸中を見渡しても私以外に可能とする者はいないはずだ。それを一目で見破り、尚且つ追跡してくる人間がいた事が最大の誤算だ。私にとっても、あの上司にとっても。
 シフォナ=エレノーラは樹令士としては超一流。森の中の戦闘に於いて、真っ向勝負は死を意味する。そんな事は、ローリエの構成員なら誰もが弁えていると思っていた。
 その上で彼女を力ずくで倒せる人間は限られている。生前のシフォナから得た情報の中で可能なのはたった四人だ。
 機動力に特化した咒踏士メイス=ガーランド。樹木の天敵である炎法士コウ=アカツキ。そして超遠距離からの攻撃を可能とする風導師エアと、エルダ=ロベリア。マリア=セルロットは、現状戦闘員に数える必要さえない。
 設定したプログラムは、その四人を排除、或いは回避して帰還する事。死しても有能な咒法士なら、その程度の事は可能だと踏んでいたし、実際にそれは間違っていなかったのに。
 そう、本当に誤算としか言いようがない。シフォナの能力を知らず、彼女の後ろにいる私を見抜き、危険を省みず追跡して来る人間がいるだなんて。
 彼女が死体であることが今更になって悔やまれた。屍を動かす事はそれだけで難しい。その上、操った死体に固有の咒法を使わせるなんて、途方もない神技と言える。
 だからこの結果は当然。応戦させる事が出来ても、実際に戦闘になってしまっては勝てない。私が扱うのに特殊な咒法士は不向きだ。彼女が森に逃げ込む、その事実だけで追っ手を回避するつもりだったのに。
(ただ、あまりにこちらの読みを台無しにするイレギュラーがいた……それだけの事です)
「お話をしましょうか。同じ、調律者として」
 情報を整理して、私は告げた。大丈夫、作戦は完膚なきまでに失敗したが、状況はこの上もなく私にとって好都合だった。
 運命の女神など信じない。世界はほんの少しの乱数と強固な因果によって縛られた、予定調和のテーブルだ。数操士は誰よりも深くそれを理解し、調律者は誰よりも先にそれを思い知る。けれど――。
(追ってきた男もまた、調律者だった。この因果、一体何に感謝すればいいのでしょう)
 非論理的な思考なのは理解していたが、それでも私はその考えを肯定した。何故か、と問う必要さえない。 私――イルミナ=トリスはこの時を生まれた時から切望して生きてきたのだから。
「同じ? 俺が調律者だと、何故あんたに判る」
 ヘイズは、表情も変えないまま問う。
「意味の無い質問ですね」
 本心から返す。けれど、話と言ったからには、問いには答えるのが筋だろう。
「貴方は先ほど私の――いえ、エレノーラの咒力干渉を無効化しましたね。調律者以外に、誰がそんな芸当を可能にするのですか?」
 通常なら、例え他人の創造物に閉じ込められたとしても、命令する分には何の障壁にもならない。だから、彼の糸がいくら巻き付こうと、植物の操作自体は可能だった筈なのだ。けれど、シフォナを介した私の命令は届かなかった。彼女とは、一段階上の権限から拒否されてしまったゆえに。
「他者の咒法を上書きする事。どのような形で現れるとしても、それを実行できるのは調律者のみです。これは咒力の強弱ではなく、権限の問題ですから」
 生まれながら上位にいる者。他の権限を塗り潰し、書き換える者。ゆえに、調べを律する者。数多き咒法士の中でも、その権能を持つ者は大河の一滴に等しい。己がソレを持つ事を奇跡と言うのならなら、己以外の調律者に出会うには悪魔の悪戯が必要となる。
 そう、だからこの機会は千載一遇と称して相違ない。武器を失って尚逃げなかった理由がそれだ。
 ――このチャンスを逃がしてなるものか。
「分かった、認めよう。……俺がそうである事も、あんたがそうである事も」
 その言い回しに、不覚にも笑いがこみ上げた。確かに、計算上気の遠くなるような数値の邂逅だ。疑うのが道理であろう。そして、その疑念が一つの証左となる。
「それにしても、良く分かりましたね。調律者といっても、貴方のように分かりやすい能力行使ではありません。初見で見破るのは不可能な筈」
 一度そこで言葉を切る。疑問は、自分で言葉にする事によって氷解した。
「……そう、それが貴方の探し物というわけですね。私に近い、或いは私と同じ性能の者を、貴方は見た事があるのです」
 それが道理、論理の帰結だ。人間大の物体を操作するなら、別に調律者でなくても構わない。見えない糸でも、重力による干将でも、いくらでも再現のしようはある。
 そも私たちのような存在を、大半の咒法士は知らない。例え死人が動いたとしても、それを可能とする術を常識の中で類推するしかない。それでも一目で屍を操っていることに気付いたというのなら、実際にそういう例を知っていたとしか思えない。
 私の言葉に、彼は表情を消した。目つきだけが険しい。踏み込みすぎたか、と意味もなく警戒を誘った己の過ちを悟った。どうやら、私も冷静ではないらしい。
 だと言うのに、彼はまた表情を変えた。ふっ、と力が抜けるような、笑み。
「ああ、そうだ。話が早くて助かるな。……ヒースという調律者の男を探している。噂話でも曖昧な情報でも構わない。何か知らないか?」
 その口調は、先ほどまで殺し合いを演じていた相手のものとは思えなかった。気が抜けたような、張った警戒を解いた自然体。まるで私を、敵ではないと判断したかのように。
 けれど、それは同じだ。全く同じ。そう、私たちは争っても仕方ない。立場などどうでもいい。数少なき同胞、殺し合えば共倒れするしかない天敵同士。元より警戒など無意味だ。
 しかし、私は彼の言葉に答える事は出来なかった。悪意でも保身でもない。単純な事、私は己以外の調律者に会った事など、今の今までなかったのだから。
「いいえ、その名に聞き覚えはありません。調律者を探しているというのなら、私に答えられる事など何も……」
 そこで、一条の疑問が走った。調律者と会った事などない。けれど、そう。その名だけなら、どこかで聞いた事があるような――。
「……っ!」
 記憶の井戸からその名を汲み上げた瞬間、僅かな頭痛を感じた。人避けの結界、周囲の木々に張り巡らせた弦の一部が切断された。明確にシフォナを追っていたヘイズならいざ知らず、一度見失ったのならこの結界を暴く事は至難の業。それを現状で可能とする人間には、一つしか心当たりがない。
「時間切れです。まさかこんなに早く見つかるとは……歪のセルロットと呼ばれるだけの事はあります。誤算には違いませんが、それがあったからこそ貴方に会えたのも事実。今日はこのまま、因果に従うとしましょう」
「待て、まだ話は終わっていない。このまま逃がすと思うのか?」
 そう来るだろうとは思っていた。案の定、ヘイズは法珠を起動して身構える。私が背を向けた瞬間拘束するつもりなのだろう。
 が、それもブラフ。彼が私をどうこうすることなんて不可能なのだから。
「ここで捕まる訳にはいかない。貴方はともかく、彼女は私の行いを許しませんから。だから、貴方が私に触れた瞬間、貴方の法具にハッキングをしかけます」
「――っ」
 他人の咒法を書き換える能力、それは法具にも適応できる。凡百の咒法士なら、それで無力化する事も可能だ。けれど、相手が調律者の場合、全く意味が異なる。
「一つ忠告しておきます。私の媒体は糸、完全に回避する事は不可能です。一瞬でも触れられるなら、戦闘になどならない。情報改竄能力が互いに争った場合、どういう結末になるか解らない訳ではないでしょう?」
「……互いの法珠を介して神経を食い合う。例え倍の性能差があっても、まず廃人になるだろう」
 言って、彼は構えをといた。私が言うまでも無く先刻承知だったのだろう。無言で走り去ったとしても、何も出来ないのは分かっていた。
「行け、今は見逃してやる」
「それはどうも」
 私は身を翻した。もうすぐ追っ手が来る。今捕まれば、武器の無い私では勝負にならない。
「ああ、それから」
 けれど、私はもう一度振り返った。黙って耳を傾けているヘイズに告げる。
「ヒースという名、確かアカデミーのデータベースで見た事があります」
「――――」
 息を呑むのが分かった。時間がない、必要な事だけ伝える。
「ローリエに協力しなさい。きっと手がかりが見つかるでしょう」
 敵に告げるべきではない言葉。それは彼も解ったのだろう。疑問の表情を隠そうともしない。
「何故、それを俺に教える」
 当然の問い。それに、私は本心から答えた。
「――貴方は初めて出会った同胞。この孤独を分かち合える者がいるならば、私は神さえも裏切りましょう」
 では、と今度こそ身を翻す。一度距離を離せれば、誰にも見つかる事などないだろう。
 駆けながら、私は気付いていた。ここ数年、一度も浮かべる事のなかった表情が張り付いている事に。
「次に会うとき、邪魔が入らなければ良いのですが」
 一人で呟いて、私は笑った。



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