それを見たとき、俺は愕然とした。
 中空に広げられた映像にはありえないものが映っている。
 心臓を穿たれた人間。あの銃創とさえ呼べない大穴は、数年前まで何度も目にしてきたものだ。
 まず間違いなくエルダの一撃。それを受けた人間が、動いている。
(ありえない、しかし)
 走り出すマリア。俺はその後を追いながら思考する。
 そう、死んだ人間は動かない。治癒咒法によって万病を排し、手足の復元までやってみせる現代医療でさえ、死んだ人間は呼び返せない。けれど、それはあの映像をイコールで否定する事実にはならない。
 そう、俺は知っていた。死んだ人間を動かす方法、数多に存在する咒法の中でも禁忌中の禁忌。
 極めて限られた者しか存在さえ知らない、その咒法を可能とする存在を。
調律者プログラマでしかありえない…ヒース、お前なのか)
 胸が疼く。その名は苦い。挫折と喪失の象徴、過去にして未来へ伸びる鎖の名。
 けれど、それでも追い求め続けた、ソレ。やっと見つけた。こんなところで、出会えるとは。
 もしかしたら探し物が目の前にあるかもしれない。その事実に、俺は暗い高揚を隠して駆けた。



Tale−Dried Flower−

 SideB-5




 どこをどう走ったのか分からない。普段なら全て覚えてしまう筈なのに、道さえ把握する事無くマリアの後を追う。
 マリアが扉のロックを解除。階段を駆け上がると、既に外には幾人もの人間がいた。どうやら、ここは既にクロスの外らしい。大陸にあいた大穴、巨大な湖が見える。ここはクロス南東に位置する森だ。今出てきた建造物は、湖の底に隠れるカタチで存在している。
「彼女は私が追うから、貴方たちは周囲を固めて。もしかしたら、もう敵がいるかもしれない」
 指示を出すマリアに構わず駆け出した。ここで逃げられる訳にはいかない。
「あ、待ちなさいッ。一人じゃダメよ! 森の中のシフォナは――」
 背後でマリアの静止を掛けられたが、すぐに聴こえなくなった。
 外に出られたのなら案内は必要ない。俺の探索域は三百メートル、既に対象の位置は把握している。
(この速度なら、追いつける)
 どういう訳か、女の進行速度は遅い。森の木々が邪魔しているのか、はたまた誘っているのか。否、あの身体なら恐らく無理をさせて走らせてる、と考える方が自然である。推測通りなら、持ち前の運動能力までは引き出せまい。
 そう、忘れてはならない。気配は掴めないが、いる筈だ。自立行動とて限界がある。回収・・するつもりなら、かならずどこかに――。
(逃がさない)



 そして、敵も逃げ切れないと悟ったようだ。目前で、死人のように感情のない瞳が振り返った。



「来るか」
 こちらの進行を遮るように、突然地面から槍が突き出した。
 串刺しにされる寸前に急停止。意識を法具に集中し、咒法を起動する。
 瞬間、手に一振りの直剣が納まった。柄頭から伸びる鎖。鍔には鈍く光る白銀の宝石。
 その銘こそは征服する者コンキスタドール。数多の鋼遣いが忌避する異端の法具にして、あらゆる鉱石を統べる王の鎖だ。
 その刃を一閃した。即座に進路を遮る柵を切り払う。次いで伸びる褐色の鞭を、法珠の軌道予測に従い回避。後方に退くと、さらに増えた。これで鞭は合計で十条。前進だけは何としても阻むつもりらしい。
 すぐに情報解析を行使。操る物が、敵の属性だ。剣で切断できるというのなら練成士ではないだろうが、情報改竄が通じなくても戦えないわけではない。

『使役化物質反応を確認・解析完了・対象を植物と認定』

(――ッ、そう来たか)
 冷静にその結果を把握する一方で、俺は己の失態を痛感した。マリアが制止を掛けた理由を、遅まきながらも理解する。
 流体ではなく物質反応。作り出したのではなく、そこにある物を操っているという事。それが植物だと言うのなら、意味する事は一つだけ。
 使役特化型。場所を選ぶ代わりに強力無比の威力を発揮する法具タイプ。
 そして、ここは植物が支配する広大な森――あの女は、操る物質に事欠く事がない。
 そう、俺は誘き出されたのだ。樹令士、あまりにマイナーな職ゆえに想定を怠った己の過ちを、苦味と共に噛み殺す。もし生き残れたら、その時は死ぬほど悔やめば良い。
「クソっ!」
 毒吐いて、咄嗟に右に跳んだ。直後に地中から植物の根が、鋭利な剣となって突き出す。
 干渉から物質の構造変革し操作する。その支配速度が尋常ではなかった。周囲を己の手足と同等レベルで扱えるのが使役特化型最大の利点。何とか回避は間に合ったが、それだけで終わるはずもない。
 息を吐く間もなく、周囲の木々が一斉に倒れてきた。そこからさらに枝が急成長し、ビッシリと十センチ以上のトゲが現れる。あの女は、どうやら串刺しがお好みらしい。
 広がった枝が既に退路を絶っている。避けられないと判断した俺は、即座に意識を法珠へ繋ぐ。
(同調率90%でリンク)
 ナイフで脳髄を切り裂かれる錯覚。視界がブレると同時に、この身を滅殺せんとする棘の軍勢が減速した。構わず、今つぎ込める全創造能力を注ぎ込んで、巨大な斧を構築する。
「――行け!」
 それは優に五メートルを超えた、巨大な刃。人間に振るえるサイズではないが、そもそも力など必要はない。
 巨人の斧は独りでに動き、目前の樹を縦に切り裂く。真っ二つに裁断し活路を拓いた斧を、そのまま敵へと走らせた。背後で他の凶器が倒れる音を聞きながら、空いた空間をヘイズは駆ける。
 己を狙う斧に、僅かに敵は竦んだ。間に存在する枝を全て伐採しながら飛ぶ鈍色の刃。それに、女は周囲全ての植物を操る事で防御する。
 無駄な事。一般に練成士の強みは、その物理的な破壊力とされている。俺の創造能力は他の練成士に比べれば圧倒的に劣るが、それでも限界量を一つに集約させた斧なら、植物などで防ぐ事は適わない。
 が、それはあくまでセオリーの話でしかなかった。

「な、んだと?」

 正直に言えば、その現象に俺は驚嘆していた。否、感嘆したと言っても良い。確かに、加速のついた大質量の一撃に、防ぎに入った木々は全て裁断された。当たり前だ、周囲全てを盾にしても防げないのは測定済み。斧は木々の防御を完全に粉砕し、そのまま女の身を裁断する。
(はず、なんだが)
 笑いさえこみ上げる。目前にいるのは、間違いなく天性の咒法士だった。先ほどのメイスという少女といい、最近の若年層はスペックが違うらしい。
 そう、斧は女にまで届かなかった。何故なら、裂かれた樹からゴムのような糸が無数に絡み付いていたからだ。
 解析は一瞬。斧に絡み付いているのは、粘性が極めて高い樹脂である。それが、伐採された樹の断面全てから伸びていた。
 蜘蛛の巣を思い出せば良い。蜂や蝶を絡めとり、身動きを封じる糸の強靭さ。それに近いものが、巨大な規模で再現されている。勿論、周囲の植物に元々そんな特性があるはずはない。
 真に瞠目すべきはその潜在能力。いくら操作に特化しているとはいえ、それだけの大規模な変革を一瞬で行ってしまえる演算速度は、法具だけの力では説明がつかない。

 だから、心の底から俺は思った。――惜しい、と。

 そう、樹令士本人に非は無かった。もし彼女が思い通りに戦っていたら、のこのこ巣に引っ掛かったヘイズは抵抗する間も無く瞬殺されていただろう。……そこにいるのが生前の彼女、本人だったなら。
 一連の思考は、それこそ刹那にも満たない。斧は勢いを失ったばかりで、未だヘイズの支配下で存在している。
 だから操作した。瞬時に斧の構成を変更。アレは元々俺が創造できる最大量だ。次の手があるなら、その基点はそこからしかありえない。
 斧が消失して空いた穴、その先に僅かな動揺した瞳が見える。斧を防ぎきったと言えど、あれほどの構造変革を行ったのなら、女の法珠は動けない。直撃を防いだとしても、次に対応できない時点で詰みだ。強制的とはいえ僅かに活動している生体の本能が、その先の終わりを理解していた。
 鋼の塊を糸として、拡散させる。一本一本の質量は極小、ゆえにその数は莫大となる。
 広がった銀の糸が、術者を含めたあたり一帯を巻きつき制圧する。未だ無表情を保つ女の瞳がさらに揺れた。
 そう、敵の敗因は、その戦力を十分に発揮できなかった事。そして、ヘイズを通常の練成士と見誤った事。
 俺は一度として止まる事無く駆ける。その疾走は無防備だ。けれど、周囲の樹はその主を守ろうとしない。
 何故なら、絡み付いているのはただの鋼線ではない。膨大な量のそれらは、それぞれが強力なジャミングを発している。対象が金属で無かろうと、一度絡み付いてしまえば完全に咒法の干渉を遮断する。他者の命令権を上書き可能な、根本的な上位権限――それが、王冠という二つ名の由来。コンキスタドールは、俺が用いた場合のみ、他人の珠法を征服する。
(ゆえに、もう人形は動かない)
 今唯一扱える直剣を振り上げる。もはや動揺さえ消え失せた女、その眼窩に容赦なく突き入れた。

  *                 *                 *

 溜息を吐く。一帯を制圧していた糸と剣を消失させた。いっそ頭を砕きたくなる頭痛に顔を顰める。その代償に、目前には死した樹令士が横たわっており、

「――出て来い。あんたに用があって来た」

 敵を完全に倒していながら、俺は誰もいない空間に話しかけた。
 否、それは間違いだ。目前の死体は、今死んだのではなく最初から死んでいた。俺が戦っていたのは樹令士などではなく、飽くまで敵の武器でしかない。
「――私はもう、戦うつもりはないのですが」
 涼やかな声が聴こえる。そう、これはそういう戦いだった。この場に人間は最初から二人いて、死体が一つあっただけ。変わったのは、動く死体が普通の死体に戻ったという、それだけの事実でしかない。
 そして、目前に一人の女が現れた。腰まである長い髪は、灰を被ったように艶がない。瞳に光は宿らず――けれど、そいつは生きていた。
「あれを見せられた以上、このまま逃げる訳にはいきませんね。正直驚いています、こんなところで探し物に出会えるなんて」
 声には生気というものがない。当たり前だ、人の死を扱うような咒法士が、普通の人間な筈がない。
 比べる事が許されるなら、まだそこの死体の方がらしかった・・・・・
「イルミナです。数操士……いえ、ここは葬操士と言った方良いでしょうか。で、貴方は?」
 女は自ら名乗った。探していた名ではない。それは声を聞いた時から解ってはいた。けれど、手がかりである事に違いはなかった。その正体は判らずとも、素性だけならば、あの映像を見たときから知っていたのだ。
「ヘイズ=ロートシルト、練成士だ。あんたに訊きたい事がある」
 今日エルダにも似たような台詞を言った。けれど、あれとは根本的に重さが異なる。或いは命さえこの問題の前には後回しだ。
 俺の言葉に、そうでしょうね、とイルミナは言った。そう、例え初めて会う人間だったとしても、出会ってしまったなら用がない訳が無い。何故なら、
「お話をしましょうか。同じ――調律者プログラマとして」
 その素性を持つ者が、お互いを見逃せる筈がないのだから。



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