耳を打つ雨音をぼんやりと聞き流しながら、僕は時計を見つめて思考する。
(んー、……この雨だと、屋上は使えないなぁ)
 昨日は、校庭の隅にあるベンチだった。一昨日は、校舎裏の段差に座って食べた。なので、今日は屋上にしようと思っていたのだが、一時間ほど前から降り始めた雨により、その案は却下しなくてはならないらしい。
(外は元より教室も論外。空き教室っていう手もあるけど、鍵開けの技術なんて僕には無いし……じゃあ、残るはあそこか)
 不意に閃いた記憶を吟味しながら、僕は弁当箱を持って席を立つ。
 教室を出る瞬間、とある人物が視界の何処にもいない事を確かめて、僕は目的の場所へと歩き出した。

Rain Days ―後日談―

「やあ、やっぱりここだったね」
 その人物を階下の先で見つけて、僕は開口一番にそう言った。僕のその言葉に、サンドイッチを片手に壁にもたれていたその人物は、淡い笑みを浮かべて返す。
「なんとなく、貴女が来そうな気がしましたから」
 大正解でした。と、相変わらずの美しさで、その麗人は呟く気を抜けば魂さえ抜かれそうなその微笑にも、僕はしかし何の反応も返さない。
 見慣れている、という事情もあるが、元々その美貌に対しての感慨を、僕は持ち合わせていなかった。
「まあ、確かに雨の日は、行く場所も限られてるしね。それに僕も、今日は根拠も無く、君はここに居るんじゃないかって思ってたよ」
 何か、この前と似た感じがしたから。と、僕はいつもの調子でそう呟く。その間にも階段を下りて、言葉が終わった頃には彼の隣まで到達していた。
「隣、座っても、良いかな?」
 断りの言葉など予想もしない僕だけど、それでも一応聞いてみる事にする。案の定、この麗人は、僕の言葉を拒絶したりはしなかった。
「お好きなように」
 何処かで聞いたフレーズに、僕は苦笑を浮かべながら腰を下ろす。
「そう言えば、二人で逢うのはあの日以来だね」
 ふと思いついたその事に、彼も、そうですね、と肯定を返す。
「何故か機会が無かったんだよね。あれから晴れ続きだったし……まあ、もう良いけど」
 そして、僕は手に持った弁当箱の包みを解いた。
「いただきます」
 呟いた後、ゆっくりとした動作で昼食を始める僕。何時の間にか、隣の麗人の手には、先程見たサンドイッチの姿は消えていた。
「ん、もう終わり?」
 どうやらそれ以上昼食を用意していないらしい彼に、僕は若干眉を顰めて言う。すると、何でもない様に彼は、「私、小食なもので」と、のたまった。
 その答えに僕は胸中で、やはりか、と呟く。予想が的中した事に対する喜びはゼロ。むしろ、正反対のベクトルの感情が浮き上がるのを自覚した。
「もう、健全な男の子がサンドイッチ一つで足りる訳無いでしょ。ほら、これあげるからさっさと食べる」
 そう言って、僕は殆ど手をつけていない弁当箱を差し出す。元々食欲が多い方ではないので問題は無い。しかし、当然の如く彼の方は、僕の言葉に遠慮をした。
「あげるって……雪村さんこそ、昼食を抜くのは拙いですよ。私は本当に大丈夫ですから」
 恥ずかしいのか、純粋にこちらを心配しているのか、恐らく両方だと僕は思うが、何となくこれを食べさせるのは一苦労だと悟った。けれど、心配なのはこちらも同じなので、ただ退却するわけにはいかない。 それは士道不覚悟ってもんだろう。
「解った。今日は引き下がるよ」
 僕がそう返事をすると、隣の麗人は目に見えてホッとするが、しかしそうは問屋が降ろしても、この僕が卸さない。
(けど、あくまで今日は、だからね)
 心の中でそう宣戦布告して、僕は安堵に油断している彼の不意を突いた。
「――じゃあ、明日から君の分まで作ってくるから」
 ピクッと時間が止まったように停止し、ギギギという擬音と共に僕の方へと顔を動かし、マジマジといった感じで僕の顔を見つめたあと、「今、何と言いました?」と質問をしてくる美貌のクラスメイト。その言葉に対し僕は、何でもありません、と内心はかなり照れながらも、澄ました表情を作りながら、言った。
「君の昼食を、明日から僕が用意する、と言ったんだよ。サンドイッチ一つで済ましてると知っちゃ、僕としては黙っている訳には行かない。今日は用意が無いから無理だけど、明日からなら問題は無いよね」
 淡々と、出来るだけ声音を抑えて言うも、心臓の方は正直だ。それを口に出した瞬間、鼓動が否応無しに速くなるのを知覚する僕だった。 例えるなら百メートル全力疾走したあとくらいドキドキしている。
 そして、それはあちらも同じなようで。というか、あちらの方は、かなり盛大に混乱してくれた様子だ。
「な、何を言ってるんですか! 絶対、貴女にそんな事は頼めません。ええ、私の矜持に賭けて遠慮させて頂きます」
 いつもの無表情は何処へやら。あたふたと何やら並べるも、僕は耳など貸しはしない。それでも言い募る彼に、僕は最終兵器を使う事にした。
 鼓動を落ち着ける。目元に意識を集中し、セリフを良く反芻する。そして。、
「悠君は、僕の事……嫌い?」
 潤んだ瞳で、そう言った。
 その一言に、相沢悠の全活動が停止する。そして一瞬後、先程を上回る反応で狼狽した。
「い、いえそんな事は! た、ただ貴女に迷惑をかけたくないというか、私にも男の立場があるというか!」
 面白いほど覿面な効果に、僕はこの兵器の使用法を教えてくれたクラスの女子に、内心で礼を言う。男は涙に弱い。噂には聞いていたが、少なくとも隣で慌てているこの人には、十分有用なようだ。
(まあ、基本的に善意の人だし)
 彼の誠実さは身に染みる程……本当に身に染みるほど知っている。それに付け込む事には罪悪感を感じないでもないが、そもそもこれは彼の為なので、と僕は自分を正当化して、演技を続ける事にした。
「いいや、僕の方こそ悪かったね……君の事情も考えないで、身勝手だった。押し付けがましくて、ごめん」
 そう言って、僕は目元に溜まった乙女の結晶を拭き取る。その瞬間、泣いている時の様に、鼻をすするのも忘れない。ちょっと赤くなった目で、僕は無理やり笑っている気丈な女の子を演じ切った。
(やれば出来るんだなぁ、僕も。女って怖いよね)
 当の女の身でそんな事を考えながらセリフを言い終えると、目の前の麗人はあっさりと陥落した。
「ち、違います。押し付け何て思ってません! あ、貴女が本当に良いと言うのなら、私は大歓迎ですから」
 その言葉に、内心でにやりと笑みを浮かべながらも、僕は止めを刺すべく言葉を紡ぐ。
「そう……良かった。嫌われたかと、思った……ありがとう」
 そう言って、これだけは心からの笑みを浮かべた。
「は、はい。お願いします……」
(よし、任務完了。ここまで来れば、拒否は不可能だね)
 そして、僕が色々と彼の好みを聞き出したりした後、彼は、そう言えば、といった感じで唐突に、言った。
「口調、変えないんですね」
 一瞬何の事か聞き返そうかと思ったが、あの夜の最後の事だと思い、僕は彼の言葉を肯定した。
「うん、直ぐには変えられないよ。今までずっと、“僕”で通してきた訳だし……けど」
「けど?」
 聞き返す言葉に、僕は一瞬の間を置いて答える。
「けど、君の前では、たぶん“わたし”になると思うよ。いつもって訳じゃ、無いと思うけど」
 良く解らない、と首を傾げる麗人に、僕は言葉を続ける。
「僕が“僕”っていうのはさ。要するに、男に対する引っ掛かりがあるからだと思うんだ。けど、君の前では、僕はきちんと、“女の子”でいたい。だからきっと、それが強くなれば、僕は“わたし”になる」
 淡々と話す僕に、彼は無言。しかしやがて、彼はぽつんと、言った。
「何故、ですか?」
 それは抽象的過ぎて、何を何処まで指している問いなのかは、解らない。だから、僕はそれら全てに応えられる言葉を伝えた。
「君は、僕の傘になってくれる人だと思うから……君なら、僕を守ってくれるよね?」
 最後の僕からの問いに、彼は優しく微笑んで、言った。
「……私は、きっと貴女を青空の下に連れて行きます。それは、神に誓う。……だからもう、逃げないでいて、くれますか?」
 問い返す彼。問いは相変わらず抽象的だけど、僕ははっきりと答えた。
「うん。わたしは君を、信じてるから……これから、お願いね?」
 雨の音なんて、もうじき聞えなくなるだろう。
 それを楽しみにしてわたしは、笑った。

Fin

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