Tale−convergent−

 Side B-1

 深夜の森林。月明かりが頼りなく行く先を照らすその道を、俺は一人で歩いていた。
 ぞんざいに切り揃えた黒灰色の髪を、砂埃を纏った風が無遠慮に撫でていく。
 そろそろ二桁に届く旅路のせいで、元から褐色だった肌はさらに浅黒くなり、さながらその風貌は無頼だろう。
 時折すれ違う旅人らしき人間まで避けていくのは、多少遺憾に思わないこともない。
 纏っている外套は風化に耐え切れずボロ布染みてきた。そろそろ変え時だなと思いつつも、この仕事が終わるまではそんな余裕もない。
 そういう事情のせいで、最近機嫌が悪い日が多い。自分の瞳と同じ色の木々も、夜の暗さを伴えば陰鬱なことこの上なく思える。
「この辺りにいる筈なんだが」
 この街道は整備こそされているものの、その左右を覆うのは化け物が住まう森林だ。
 無闇に森に入って生きて出られる保障はない。
 つまり、例えどんな事情があろうとも他の町へ行きたくばこの拓けた道を一本道を通らなければならない。逃走経路としては最悪で、追跡する身としては楽で良い。
 にも拘らず、手を回した情報屋から連絡はなかった。つまり、まだウルザの街に逃げ込んではいない、ということになる。
 街道の終着まであと数時間程度だ。野営しているにしても、この辺りにいなければおかしいのだが――。

「……ッ」

 見られた、という感覚。肌を撫でる違和感。俺は、躊躇なく前方へと身を投げ出した。
 一瞬後に、脳裏に文字列が駆け抜ける。
  瞬間、ボロ布染みた外套の裾が裂けた。回避しなければ、代わりに俺の胴が真っ二つになっていただろう。
 突如として飛来した凶器は、そのまま夜の闇に消えた。
 ギリギリで回避に成功したのも束の間、得体の知れないモノが急速接近する気配を感知。
 襲い掛かってきたモノを確認することさえ放棄して、俺はさらに身を翻す。
 背後で土を掘削するような剣呑な音を聞きながら、俺――ヘイズ=ロートシルトは速やかに体を反転させた。
 先ほど寝転がっていた位置に、一本の槍が突き刺さっている。
 どれほどの重量と長さを誇るのか、刺さったまま倒れる気配のない槍は、露出している部分だけでも二メートルに達していた。太さに至っては大人の大腿部ほどもある。槍というより、巨大な杭と言うべきかもしれない。
 それは決して人間が扱えるものではなく……ましてや投げつける事など不可能だ。
 さらに言うなら、俺の視界には、人にそんな物騒な槍を投げつけた人間の姿はなかった。
 どういう方法にせよ、あれほど長大な槍を投げつけ、かつ一瞬の隙に姿を隠すなど尋常な所作ではない。
 緊張が体を支配する。ギアはローから一息でトップに。先ほどから、隠す気のないあからさまな殺意を知覚している。
 槍の雨が降ったわけではないのだ。その殺気と合わせれば何者かの犯行であることは自明だ。
 咒法士じゅほうしという単語が思い浮かぶ。
 それが一体何であるかを思い出す前に、姿無き襲撃者は行動を開始していた。
 背後で、微かに何かが擦れる気配。その歩法は、無音とさえ称える事が出来るだろう。
 些細過ぎる風切り音は、人に一方的な死の宣託を告げる鎌の音だった。
 だが、それで位置は掴めた。気配を隠蔽している本人はともかく、飛来するソレの気配は把握できる。
(到着まで三秒、この程度の質量なら――)
 脳裏に流れる計算と同時に、俺は得物を取り出す。
 左の袖から伸びるのは、鎖だ。銀に輝く宝石が象嵌された、大きな錘がついている。
 俺は鎖を引き寄せ、右手で錘を掴んだ。残り一秒、命令を思い浮かべながら、右手を大きく振り被った。

「ハッ!」

 夜の森に、金属が激しくぶつかり合う音が鳴り響いた。へし折れた鎌が足元に突き刺さる。
 俺の右手には、柄頭から鎖が伸びた白銀の剣。鍔の中央に象嵌された銀の宝石が、白い光と共に明滅している。
 その光が、俺の前方から疾走してくる人影を照らし出した。距離は既に至近、振り抜かれる刃を、そのまま銀剣で迎撃する。

「チィッ」

 銀剣に交差する形で止められたのは二振りの曲刀。
 仕留め切れなかったことに驚いたのか、襲撃者は目を見開く。が、瞬時に俺の正体に思い立ったの男は、現在の状態を危機と見做し俊敏な動きで後方に跳躍した。
 そして、その判断は実に賢明だった。
 襲撃者が回避した一瞬後に、前方の地面から数本の槍が勢い良く噴出す。
 細く等間隔に並んだそれは、槍でできた柵だ。迷わず回避を選択しなければ、全身を貫かれ即座に絶命していただろう。
(流石はB級指定。犯罪者だろうと一流には違いない)
 内心で一人ごちながら、俺は数メートル先で警戒する男に話しかけた。

「お前がウィザードだな?」

 数日前まで滞在していた街で殺人事件が起きた。殺されたのは街の富豪、奪われたのはたった一つの芸術品。自警団の捜査を掻い潜り、闇から闇を渡る殺人犯。確か本名は、アリエスト=ウィザード。B級指定の賞金首だ。
 確かにこの性能なら、常人が構成員の自警団では話にならないだろう。俺の探知を掻い潜る隠蔽能力だ、腕の良い探索者シーカーでもなければ、見つけることさえできはしまい。
 以前に見せられた資料を思い出しながら、相手の力量を分析する。

「そうだ、と言ったらどうする?」
「捕まえるだけだ」

 そう、俺の仕事は目の前の強盗犯を捕らえること。そして、奪われたモノを奪還すること。
 怪しげな依頼者に雇われた探偵士という、なんとも因果な商売だった。
 僅かな間黙っていた男は、右手につけた手甲をこちらに向け、小さく呟いた。

「なら、死ね」

 その声が中空に消えた刹那、構えた手甲に埋め込まれた銀色の宝石が鈍い光を放つ。
 瞬時にして生成されたのは、先ほどと同じ形状をした長大な槍。その数は、十に届く。
 重力も物理法則も無視して存在するそれらは、水蒸気を伴うほどの加速を以って疾走する。

 目標は、疑うべくもなく俺の急所。
 質量重量共に申し分無し。加えてあの運動量ならば掠っただけでも片腕が千切れ飛ぶだろう。
(やはり、同じ練成系か。……なら)
『高密度流体反応を確認・捕捉対象を大気に設定・干渉領域限定展開』
 脳裏を命令が駆けると同時に、手の中にあった銀剣が霧散した。
 残ったのは鎖分銅。錘の中央にある宝石が、眩い光を放っている。

 巨大な槍が水蒸気を纏って疾走する。考える前に到達し人間を破砕する凶器を、俺は三歩下がって回避。それだけで、半数の槍が地面へと突き刺さるに終わった。
 質量、速度、軌道。全て頭の中に入っている。次弾到達まで二秒、今度は左前方に三歩。それで四本をやり過ごす。
 そう、俺の得物は剣ではない。そして鎖でさえも。
 宝石のように見えるそれは、実のところそんな生易しいものではない。

 瞬時にあらゆる情報を走査し、あらゆる情報を組み上げる咒法誘導機関……通称法珠が淡い銀光を発生させるだけで、時間の流れが減速していく。
 法珠は演算装置だ。何万桁という計算をゼロカンマ一秒以下で行うソレは、常人とは比べ物にならないほどの高速思考を使用者に与える。
 五分の一にまで遅くなった槍ならば、軌道と時間さえわかっていれば避けることなど造作もない。

 尤も、それは応用であって用途ではない。人間の思考はそのような暴挙に長時間は耐えられない。
 だから行使は一瞬だ。現状把握とたった一つのコマンドを実行するために、機械と意識を連結する。
『対象構造70%を掌握・情報改竄開始――成功』
 脳裏に完了の二文字が流れた瞬間、思考を現実の速度まで回帰させた。

 目前には今にも俺を貫こうとしていた長槍。全長三メートル、直径三十センチの凶器。十本放たれたうち、チェックメイトを告げるはずの最後の一つが、射手の意思に反して停止し、次の瞬間には消失していた。
 予想にしえない現象に硬直する襲撃者。しかし驚きは一瞬だっただろう。
 プロ故か、理解し得ない現象を前にしてさえ、彼は卓越した状況把握を見せた。
 すかさず距離を詰め、手に練成した双剣で斬り掛かってくる。
 俺に背中を見せて、逃げ延びることなどできないとと知っていたのだろう。
 ……だが、それさえも命取りであることに、彼は気付いていただろうか

 槍を構成していた流体に干渉し、槍を形作っていた情報を改竄する。
 槍という定義を失ったソレは、形としてこの世界に顕現する前の存在、流体エーテルに還元されていた。
 流体とは"形を持つ前の存在"のことである。
 繰り上がることを許されない数、と言っていたのはどこの数操士だったか。密度だけでは流体は物体と成れず、形作るに足る密度にラベルを貼ることで、やっと物質となるのだ。
 世界に存在する全ての物は『形を持った流体』で構成されており、それは空間や時間といった不確定なものさえも例外ではない。

 そして、その流体に定義を与え、自由に物質を創造し、森羅万象を操る術を持つ者達を咒法士じゅほうしという。
 咒法士は特殊な演算装置である法珠を装着した咒法誘導機関――"法具"を使用する事で流体に干渉することができる。
 形は様々だ。俺の鎖分銅しかり、目前の暗殺者が使う手甲しかり。同じなのは、膨大な情報を『法珠』の演算能力で組上げ、法具に付随する機関が意思という指向性を伝達し、流体を制御するその性質。

 未だにブラックボックスが多い咒法を操るには、才能が必要だ。一般人には手が届かず、故に忌避さえされる異能である。
 目前の人物のように、天分ともいえる才能を悪用する人物は後を絶たず、被害は深刻の一途を辿っている。
 しかし、一方では文明を支える社会の中枢であり、さらには咒法を悪用する者を捕らえるのも、また咒法師のみだ。
 必要でありながら忌避されるもの。忌避されながら求められるもの。それが俺たちに与えられた立場。
 それ以外の生き方を、社会は決して赦さない。

(だから、刈らねばならない)
 一つ溜息をついて、俺はターゲットを見据えた。
 咒力の干渉により、俺を襲った長槍は既に姿を消している。
 しかし、消滅した訳ではない。これは勝利への布石なのだから。
 意味を失うことによって流体に戻ったそれは、密度を物質レベルで保ったまま、法珠の制御により不可視の状態でその場に留まっている。
 イメージ的には、水になる一歩手前の気体に近い。

 けれど、そんな事に通常の咒法士は気付けない。よほどの探知能力を持つ者でなければ、"未だ存在していない情報"までは知りえないのだ。そもそも、そういう芸当をできる咒法士の存在さえ知らない。
 だからだろう。彼は手の双剣を躊躇なく振り下ろす。警戒しているのはこちらの動きのみ。己の探知能力だけを信じ、自分がどれほど危険な場所にいるかに気付いていない。
 ゆえに、俺は最後のコマンドを実行した。
『再構成開始・形状を鋼線に定義』
 成功の文字が脳裏を流れる。――それで、詰みだ。

 「がはっ!」
 絶叫を上げたのは、今瞬間この首を落とそうと、具現化した双剣を握っていた襲撃者だった。
 一見、襲撃者に異常はない。
 何の障害もないのに、自ら振り下ろした刀を止めているようにも見える。
 けれど、視力に自信の有る者なら、彼に何が起こったか理解できるだろう。
 襲撃者の動きを止めているのは、本当に目を凝らさないと見えないほどの細い鋼線だった。
 何十条もの鋼線が襲撃者の体を切り裂き、貫き、拘束している。

 それは、襲撃者自身が放った長槍を、俺が造り替えたものだった。
 設定した空間に足を踏み入れた瞬間、鋼線を具現化して操作。対象の自由を奪う檻を構築する。
 襲撃者の顔に、敵に捕まった恐怖ではなく、在りえない事象に対する混乱が映った。
 それは当然の事だ。
 通常、流体から物体を組み上げるには、必要な流体量を確保する為のタイムラグが存在する。
 それは一秒にも満たない時間ではあるが、咒法士ならばその短時間で確実に感知できる。
 故に、例えどれほど意表をついたとしても、このような罠は通用しない。

 しかし俺は、他の咒法師とは多少毛色が違うのだ。
 通常では、他人の構築した物体に干渉を施す事は出来ない。干渉を受けている物体は術者の思考に保護されるからだ。
 が、俺の持つ法具は、幾つかの機能を代償にその防壁と突破する。
 既に分解した流体をそのまま再構築するのなら、流体を集める際に発生するタイムラグは存在しない。
 それにより、襲撃者は本来では在りえないタイミングで具現された鋼線に、避ける暇もなく搦め取られてしまったのだった。

 それは咒法を扱う者だからこそ、決して見抜けぬ魔の茨。
 何とか脱出を図ろうとともがくも、その度に鋼線が食い込み激痛を誘う。
 それでもプロの意地か。
 最期の力を振り絞って、右手を切断されながらも曲刀を投擲してくる。
 その、強烈な意志の一撃を回避し、俺は最後の言葉を紡いだ。
 同じ練成士として、その意志だけは認めよう。だから、
「――もう、眠れ」
 血の雨が、夜の森に降り注いだ。



 不意に、何かの音を聞いた気がした。
 視線の先には、地面に突き立つ剣のような建造物。未だ入り口さえ見えない森の中でさえ、その塔のような姿だけは見て取れる。
 数十階層に渡る高層ビルの最上階付近から、何かが落下するのが見えたような気がした。
 が、常人ではないヘイズでも視力は変わらない。
 何キロも先のものを見分けることなどできるはずもない。

 仕事をした後、特に人殺しをした後は気分が悪くなる。きっと、そのせいで幻覚でも見たのだろう。
 本当に音を聞いたかさえ曖昧だ。気にしても意味はない。
 そう思い、下らない幻聴を頭の中から消去して、俺は手の中にあるものを見た。
 それは、美しい装飾を施された指輪だった。
 大きな宝石と、繊細な細工。確かに、芸術品としては相当なものだろう。

 売れば大金になるだろうそれは、盗み出した本人の血で染まっている。
 だが、こんな物の為に何故、彼は強盗などしたのだろうか。
 金が欲しかったのか、彼もまた誰かの依頼を請けたのか。
 この結果は、予測できたはずだ。咒法士として悪事を働くなら、いずれ同じ咒法士と刃を交えることになる。
 数度を生き延びることはあるだろう。だが、いずれ己を越えるものと出会う。いずれ、死ぬ日が来る。
 ならば、その生き方は命を賭けるほどのものだろうか。

 そしてふと思う。俺は、何を刈り取ったのか。
 賞金首の命か。それとも、彼が叶えようとした誰かの希望か。
 これが何の為に盗み出されたかはわからない。
 そもそも理解する必要が無い。知る術もないことだ。
 責任さえ取れはしないのならば、思考にどれほどの意味があるのか。
(ならば何故)

 意味のない思考なのは理解していた。
 それどころか、たかだか依頼の為に人を殺した自分も、全く彼と同じだ。
 下らないことに命をかける。いずれ、この命を差し出す時が来るだろう。
 何故だ。俺は何の為に生きている。
「何を馬鹿なことを……決まっているだろう、そんなことは」
 呟くと同時に、霧が晴れた気がした。
 そう、自分には目的がある。殺した相手など関係はない。成さなければならない事が、俺にはあるのだ。
「待っていろ、ヒース。絶対に見つけてやる」


  *                 *                 *


 ヘイズ=ロートシルトの物語はこの時、既に始まっていた。
 そう、ふとした物音に顔を上げた瞬間。
 とあるビルから何かが落ちるのを見た瞬間。
 後に、マリアとその名を呼ぶことになる人物が、中空に放り出されたその瞬間。
 けれど、二人が出会うのはもう少し先の話。
 けれど、それほど遠くはない未来の話。




Back   Menu   Next

inserted by FC2 system