「……ああ、契約通り、指輪は確保した。今、運び屋に渡したから、すぐにあんたのところに届くだろう」
携帯式の咒式端末に向って、気の乗らない声音で話しかけながら、俺は日が昇ったばかりの街を歩いていた。
「報酬は、いつもと同じ口座に振り込んでおいてくれ。……ああ、始末した賞金首の方は、適当な警察機関に任せてきた」
会話の内容は、依頼人に対する案件終了の報告。
「それは問題ない。匿名で連絡を入れておいた。何の痕跡も残しちゃいない」
首尾は上々。依頼達成率十割の看板に、今度も傷を付ける様な事は起こらなかった。
「それも安心してくれ。誰も指輪の在り処は知らない。世間的には、盗まれたまま消息不明だ」
仕事の後は気分が悪い。が、それも一晩経てばいい加減収まる。自己嫌悪に溺れるほど上等な性格はしていない。
ドライな気分で、依頼人に報告を続ける。
「ああ……品は誰も知る事無くあんたの手に収まる。元の持ち主関連も問題はないだろう」
依頼人はしきりに質問をしてくる。だがこちらに落ち度が無いことを確認すると、安心したように安い労いの言葉を言った。
(結局、最後に勝つのはこういう奴か。……あんたも災難だったな。咒法士なんぞならなければ、こんな死に方をする事は無かっただろうに)
自らが手を下した賞金首に、安い弔いの言葉を胸中で語りながら、依頼人に締めの言葉と告げた。
「とにかく、あんたの案件は無事終了した。もし、これから先何か有った時は相談してくれ。では、また縁があれば」
その言葉を最後に、一方的に接続を終了する。
次いで、自分の口座を確認すると、きっちり報酬の百万クレジットが入金されていた。
(これだけあれば、当分は安定した生活ができそうだが)
ついそんな腑抜けた事を思っていると、
『ルルルルル、ルルルルル……ルル』
(一つ終わった瞬間、もう次の依頼か……まあ、生きる為だ。それに、)
掠めた思考を振り払う。探し物は、そう簡単に見つかるものではない。毎度期待していると身が持たないだろう。そう胸中で独りごちると、未だに鳴り止まない端末の通話ボタンを押した。
「はい、こちらヘイズ=ロートシルト探偵士。依頼の御相談ですか?」
Tale−Conductor−
Side B-2
「面倒な依頼だな……」
夜も深け始める暗い森。
昼とは別の顔を見せる一種の魔境。咒法士とはいえ、単身で入るには危険な領域だ。
「まあ、人間が相手でないだけ、まだましか」
同じ時間に、同じようにここに来たことを思い出す。
『最近夜の森に出没する、旅人を襲う魔獣の駆除』
それが、昨夜案件を成功させ、朝を待って依頼人に報告をした直後、すぐに回ってきた新たな案件の内容だった。
深い闇の中、人気の無い森を黙々と進む。
周囲には虫たちの鳴き声と、風にそよぐ葉たちのざわめきが満ちるのみ。
しかし俺の感覚は、それら自然の長閑さとは違った、異質な気配を感じ取っていた。
(十時の方向……移動の気配は無し。休眠中か?)
俺は咒法士である。
咒法士は己が支配する領域に限り、強力な演算能力によって構築した情報を流体に投影する事で、森羅万象を創造する者たちの総称だ。
そして、その副産物として、結界内に起こる全事象を刹那の時を以って理解し、結界の外であっても、高精度の探知機並みの把握能力を発揮することが可能なのだ。
未熟な者でも半径百メートル、熟練者で、尚且つ探索専門の咒法師……探索者なら、半径八百メートル内の、全物体を把握することも可能と言われている。
俺が把握可能な領域は、半径約300メートル。探索者でないなら充分な範囲は確保できている。
「あと150メートル。そろそろ、気配を消した方が良いか」
(同調率15%でリンク)
短い文面が思考の裏側で閃いた。
足音を極力立てず、神経を集中することにより、行動に伴う気配を周囲の自然と同調させる。
これは、法具の演算能力を借りて、周囲の全情報を把握する事によって、初めて可能になる芸当だ。
しかし、たとえどれほど正確なデータがあったとしても、それを忠実に再現するには本人の技術が不可欠。
咒法という極めて有用な力を駆使するモノたちの世界の中では、ただ道具に頼るだけではすぐに死ぬ。
ゆえにそれ以上の技術を身に付けようと努力し、結果生き残ってきた、俺のもう一つの武器だった。
(残り50メートル……そろそろ、見える頃か)
そう思った瞬間、暗い闇の向こう、星々の光に照らされて、赤い何かがちらついた。
『データを照合……完了・一致・捕殺対象と認定』
脳内で報告された情報により、それが依頼対象の赤竜だと判断する。
対象は動かない。本当に寝ているのか、そうでないのかは解らないが、それでもこちらに気付いてはいない。
今のうちに速やかに行動し、最初の奇襲によって一撃で殺害しなければならなかった。
竜種は、それが例えどれほど弱い部類に入るとしても、他の有象無象の魔獣たちより遥かに強い。
それは、その殆どが巨大で強靭な皮膚を纏っており、強靭な筋力に加え翼による飛行をも実現するといった、基本スペックからして他の生物を上回るからである。
確かに、竜種を超える魔獣の類はそれなりに報告されているし、悪魔や天使といった人外種などは、それこそ神代の力を振るう者もいるが、それでも最も普遍していて強靭な魔獣は竜なのだ。
だから、気は抜けない。
半端な攻撃は意味がない。鎧のように強固な皮膚を突き破り、屈強な巨体を一撃で葬るには、並大抵の威力では不可能だ。
このまま正面から全力で攻撃しても、命を奪えるとは限らない。そもそも俺の法具は、対人戦を前提に製作されている。
人間相手なら充分な威力を持つが、破壊力にイコールでは繋がらない。
それでも竜種に大して無力、という訳ではない。確かに致命傷を与えることは出来るだろう。
が、確実に即死させなければ、こちらがどうなるかは解らない。殺しきる前に体当たりでもされればそれで終りだ。
(ならば、全力以上の破壊力を調達するべきだ)
早々に結論に達すると、改めて周囲の状況を分析する。
暗い森。木々は多い。隠密行動には申し分ないだろう。森というより、山と形容し易い地形。所々にある高低差。魔獣の中でもある程度高い知力を持つ竜種であるが故の、外敵に対する警戒の現われだろうか。その背面には切り立った長い崖が、東西に続いていた。
(上から圧殺……いや、やるなら高重量の刃か)
方法は判明した。おそらく、データ通りの竜種なら、一撃でその首を落とせるだろう。今必要なのは、この攻撃を成功させられるポイント、あの崖の上に移動する事だ。
そう判断し、俺が崖に上ったところで、突然赤竜が絶叫した。
「くそっ、どこの馬鹿だ!」
闇に包まれた広大な森は、ただそれだけで危険である。
おまけに、現在ではニュースによって、この森に竜が住み着いているのは周知のはずだ。
だからこそ安心していた。第三者によるイレギュラーは発生しない、と。
しかし、現実に獲物は目を覚まし、気配も断たずに領域を侵犯した愚か者へと突貫している。
最初は、俺自身が感知されたのかと思った。けれど、その方向が全く別に向いていることから、この場に第三者がいる事を告げていたのだ。
だから、ひたすら走る。
崖を上ったのが幸いしたか、赤竜が向かうであろう場所……こちらからも感知できる第三者の元へは、ルート上俺の方が近い。
しかし。
(ただの人間が、魔獣に追いつける訳がない)
全力で走りながら計算する。赤竜と俺、互いの現在地と速度を比較し、互いがそこに辿り着くまでに必要な時間は。
(俺が着くまで80秒……アイツが辿り着くまで15秒)
その差、65秒。一分以上、その第三者が自力で生存しない限り、こちらの助けは間に合わない。
一般人が竜種に対し、どれほど持つかなど知らない。そんな統計は存在しないし、自分で計算する気も起きない。解るのは、良くて20秒持たないだろう、という予測だけ。
それでも、突き動かされるように俺は走った。
人を殺すのは嫌いだ。必要なら躊躇わないし、依頼なら、必要じゃなくても殺すだろう。けれど、必要もなく依頼でもないなら、人の死など見たくは無い。もしそれが阻止できて、見捨てる必要性もないなら、例え報酬がなくてもやるべきだ。
だから、その"死"が決定されるまで、諦めてはいけない。咒法士としても、人間としても、それは忘れてはならないこと。
……そして、40秒が経過した時点で、俺はその異常に気付いた。
(まだ生きている。それに、これは)
『高密度流体反応を感知・情報制御を確認・何らかの咒法と推定』
脳に直接送り込まれる情報の羅列に、一つの結論に至る。
(こいつ、咒法士か……!)
目標地点まで、あと20秒というところで判明したその事実に、俺は一瞬だけ逡巡した。
もしあの第三者が一般人だったなら、何の問題もない。間に合えばどうにかして助け、そのまま竜を葬るのみだ。
しかし、相手が咒法士だったなら話は違ってくる。相応の力を持つものである以上、その刃がこちらに向かう可能性は否定できないからだ。
しかし、それでも速度は弱めなかった。そんなものは、見て判断すればいいのだ。
そして、カウントが0になり、ちょうど視界が開けた所で――
振り上げられた赤竜の兇爪を前に、膝をちおて身動きの取れない女の姿があった。
『咒法展開』
崖から飛び降りた落下のエネルギーを、出来る限り並行方向に変換し、片腕を切断された赤竜の絶叫を聞き流しながら、俺は呆然としている女の体を掻っ攫った。
刹那の遅延の後、女がいた場所に高速で襲った、何か。
それが、怒りを込めて振るわれた竜の尾である事にも関知せず、腕の中にいる女に声をかけた。
「おい、無事か」
混乱している可能性がある為、出来るだけ声を落ち着けて語りかける。
すると、茫然自失の様相を呈していた女の目に、瞬時に理性の色が戻った。
(反応が早い。やはり、一般人ではない、か)
それを見て分析する俺を、女は一瞬見定めるように見た後、思い出したように抱かれた腕から飛び退く。
(動作に淀みがない。竜相手に随分持ったところから見ても、十分に訓練された咒法師)
そう胸中で独白しながら、女を襲った竜に視線を向ける。
切断された右前足。それは、崖の上から俺が落とした刃によって押し切った傷だ。
そして、
(完璧に圧し折られた左前足……戦闘能力も、侮れない)
あれほど強靭な赤竜の肉体を、切断するのではなく圧し折るなど、俺には不可能な事だ。
それに、助けた女は外傷を受けていない。無傷で膝をついていた様は、動力から切り離された機械を想像させた。
おそらく、何らかの理由で既に消耗していたのだろう。
それならば、無警戒に赤竜のテリトリーに入ってしまったのも頷ける。疲労のあまり、警戒を怠ったのだと考えれば筋が通るのだ。
(竜と相対し、消耗した状態で傷を負わず、尚且つ手傷を負わせる。実戦経験がないとは思えない)
実力がどれほどかは解らない。けれど、警戒に値する人物だと、視線の先にいる女を見定めた。
その間、約2秒といったところか。俺が状況を把握し、それとほぼ同時に女が声を発した。
「そこのあなた、とりあえず礼を言うわ。助けてくれてありがとう。けれど、今はこいつを何とかしましょう」
早口で言う女。礼を言った直後からでも協力を要請する姿勢は、礼儀を知らぬのではなく、戦場を理解している証明なのだろう。
無言で頷くのを確認して、さらに女は指示を出す。
「今の私には、こいつに止めを刺す力が無い。動きを止めるから、あなたがそいつの、息の根を止めて」
それはそうだろう。先ほどは、おそらく咒力切れで動けなくなっていた女である。ならば、その選択は現状、この上なく正しい。
だが、
(この女に、手の内を見せていいものか)
とりあえず助けたものの、それでも女は咒法師。戦う者である。
名も知らぬこの女が、次の瞬間には自分を襲う事もありうるのだ。
(いや、今は考えるな)
その一言で脳裏にちらついた可能性を削除する。
確かに、現状でこの女を信用する事は危険だろう。
けれど、目の前には物理的な危険を孕んだ魔獣が居り、そして女が止めを刺せないのは、おそらく嘘ではない。
ならばどうあっても止めを刺すのはヘイズだし、であるならば、選択の余地はない。
(それに、この女に、俺を殺せはしない)
ギリギリまで力を消費しているであろう女と、死線をいくつも越えてきた、余力十分の自分。
勝つのは考えるまでもなく自分だ。それくらい、実力者なら把握しているはず。
だから、俺は前を見る。
今にも襲い掛かろうとし、けれど突然増えた獲物に警戒している赤竜。
両腕を失っているそいつの攻撃方法を分析し、安全に到達できるルートと、即死させられる攻撃方法を選ぶ。
そして、全て計算し終え、飛び出すタイミングを計っている俺に、女が突然声を掛けてきた。
「あ、それと……私からの射線上には、絶対に出ないでね」
動きを止める、と言った以上、女は何かをするつもりなのだろう。
言葉から見るに投擲の類か。了解、と一つ頷いて飛び出した。
女と赤竜の直線上は避けながら疾走する。
それを見取り赤竜は、尾を旋回して薙ぎ払おうとした。
(あの質量の一撃。俺の障壁で耐えられるか……?)
けれど、慣性の働いた体は止まれない。
赤竜の一撃を構築した障壁で受け止め、次瞬、その脳を破壊する以外に方法は無い。
そう割り切って、障壁と展開しようとし、
「……ッ!?」
真後ろから、身の毛もよだつような何かが、俺の肩を掠めて通過した。
(なん、だ?)
その何かが掠めた一瞬、まるで自身が鉄で出来ているかのような鈍重さに襲われる。
それに意識を向かわせる間もなく、俺の目前で、なんと、尾を旋回させていた赤竜が勢い良く転倒した。
「今よ!」
声を掛けられるまま咒法を発動させる。
構築するのは一本の槍。丁度、昨日のターゲットと似たような得物だ。
長さは四メートル。直径は十センチ。人間が扱うには長すぎるそれを、ベクトルを設定して発射する。
己の思考が支配する結界内でなら、物理法則を意のままに上書きできるのが咒法師。槍を浮遊させ、弾丸のように発射させるなど容易な事だ。
高速で、一直線に槍が向かう先には、転倒し、身動きが取れない赤竜。その左眼だ。
硬い皮膚を貫通し、心臓を射抜ける出力など、俺の法具には備わっていない。
ならば、唯一その皮膚に覆われておらず、尚且つ脳に直結している眼を狙うのが道理だ。
果たして、俺の放った槍は、赤竜の左眼を穿ち、その先にある脳を破壊する。
一瞬赤竜の体が硬直し、しかし、次の瞬間には弛緩し、倒れた。
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