周囲は闇。木々は不気味に囁く魔の森。竜が住まう異界を、俺たちは黙々と歩く。
依頼人によれば、あと少しでターゲットたちが接触する頃だろう。
得体の知れない依頼人を思い出す。
彼は、時間と場所は多少ずれる、と言っていた。が、時が来れば場所は解る、とも。
もし会えなければ連絡しろとも言っていたから、必ずしも正確な情報ではないのだろう。
「依頼を請けたのは良いが、本当にターゲットはいるんだろうな?」
問うてきたのは、朝から気分が大変悪いらしい、この俺の相棒。
あれから、色々と大変だった。主に、ご機嫌斜めなこの聖女を宥めるのが。
「俺に聞くな。ついでに俺に当たるな。壁ぶっ壊したのはお前だ」
俺だってこんな依頼は受けたくなかった。ネメシスに言われるまでも無く、胡散臭いにも程がある。
だから当然こちらだって気分が悪い。そろそろ、宥めるのも飽きてきた。
「う、うるさい! 大体、お前があの時、あんな事言わなければ――」
――こんな事にはならなかった、という言葉は突如響いた絶叫によって、かき消された。
「時が来れば、か。……行くぞ」
そう告げてネメシスを見ると、彼女は無表情に頷いた。
Tale−Conductor−
Other-2
派手な戦闘音が聞こえる。どうやら、巷を賑わせている赤竜もいるらしい。
これを見越しての依頼か。依頼人の素性を限定する材料になるかもしれない。
隣を見れば、先ほどから一言もしゃべらないネメシス。
全力に近いスピードで走っているが、しかし余裕が無い訳ではないらしい。
むしろ、身体能力においては彼女の方が遥かに上だ。何せ、大国の軍神相手に小細工なしで打ち勝つ馬鹿力である。
だから、ネメシスが喋らないのは、ただ単に仕事前には無口になる気質なだけ。
「近いな」
俺は独り言のように言った。
呟く声に緊張は無い。相手は咒法師二人に竜種だが、ネメシスと二人で勝てない方があり得ないように思える。
それが楽観かどうか。少なくとも、こちらの戦力を考えれば厳然たる事実だとしか言えない。
「おい、私はどうすれば良い?」
唐突にかけられた問い。
主語が無い為何を指しているか判然としないが、彼女がここで問うべき事は一つしかない。
「ああ、殺すのは竜だけだ。抹殺依頼でないのなら、捨て置いて構わない。適当に戦って報告する。それだけで良いはずだし、それが依頼だ」
そして、だから、と言葉を続けた。
「レクイエムは使うな。アレは手加減とは無縁だろう」
その言葉に、むっとネメシスは眉をしかめて言った。
不満そうな表情と、初めて彼女の顔に現れた、微かな不安。
レクイエム。その名に対する、彼女の信頼が見て取れる。
「しかし、それでは私は戦えないぞ。お前のように、幾つも便利な術など持っていない」
そういう彼女に、腰に挿した一本のナイフを放り投げた。
今日の早朝、ネメシスが振るった斧の一撃を止めた防御用の短刀。俺が幾つか常に携帯している内の一振りだ。
「切れ味はないが、強度は十分だ。それを媒体に使えば、ある程度の効果は引き出せる。今回はその程度で良いし」
そこで、俺は言葉を切った。彼女のカードを思い返す。ジョーカのファイブカードを連想した。
「何よりお前の力なら、刃の切れ味など関係無い」
核心を突く俺の言葉に、ネメシスはようやっと、渋々ながらも頷いた。
それが過信ではなく、ましてや自信の表れでさえない事を俺は誰よりも知っている。
その時、夜の森に響き渡る、一際大きな竜の絶叫。
「終わったらしいな」
崖の先からかすかに見えていた赤竜の頭が、視界から消えた。
その先にいるターゲットに向かって、スピード上げた。
勢い良く崖から飛び降りると、何故か先ほど倒れたはずの赤竜が起き上がっていた。
おかしな現象だ。あの断末魔は、間違いなく死んだものだと思ったのだが。
俺と同じように驚きながらも、即座に対応しようとしている二人の人物。
それらを一瞥した後、ネメシスは視線で問いかけてきた。
『こいつは、良いんだろう?』
許可を求めていると判断。その視線に、同じく視線で頷いた。
こちらの合図を見取り、ネメシスは手を前へと翳しながら、一言だけ呟いた。
「来い」
何気ない言葉。けれど、他の有象無象の音と違い、その言葉には吐き気を催す程の魔力が篭っていた。
その声に反応するように、空の手に突如として現れる何か。
それは本だった。一瞬だけ分厚い四角形を形成。それは一瞬後にぐにゃりと歪み、まるで御伽噺の死神が持つような、一本の大鎌へと変じる。
それは今朝、彼女が振るったものと同じもの。
ありとあらゆる命を裁く免罪符。其は、神の剣にして全滅を誓う曲刃である。
ネメシスは、突如として現れた大鎌を、こちらに背を向けている竜の首に、無造作に振り下ろす。
確かに、落下している為勢いはあった。けれどここは空中。姿勢の変更もままならず、反動を受け止めるモノなど何一つとして無い。
大鎌には重量もあるだろう。強力な威力を発揮する得物であることは間違いがない。それを振るう者が、非力な女でなければ。
けれど、例えネメシスが大男並の馬鹿力を持っていようと、そもそもその行いに意味はない。
どれだけ鋭い刃であろうと、竜の皮膚は生半可なモノでは傷つける事など出来ないほど硬質なのだから。
そんな、様々な条件の存在を一切合財素通りし――ただ一太刀、それだけで、全生命体中最も強靭な筈のそいつの首は、まるで何かの玩具の様に切り落とされた。
いきなり空から現れて、突然竜の首を切り飛ばした乱入者たちに、目前の二人は状況が把握できないまま身構えた。
あからさまに向けられる警戒の視線、しかしそれも当然だろう。
こんな夜の森に人など早々いる筈が無いし、例えいたとしても、空からは降ってはこないだろう。
それも、ただ現るだけならともかく、片方は死神が持つような大鎌を所持し、尚且つ今まで敵対していた竜の首をただ一太刀で切り落としたのだ。ここまで奇抜な登場で警戒しない方がおかしい。
俺だったらまず間違いなく驚く。下手すりゃ先制攻撃するかもしれん。
その上、直前まで魔獣だの何だのでゴタゴタしていたのだ。処理が追いつかなくなって当然だろう。
故に、俺はターゲット達の態度に構わず言葉を紡ぐ事にした。どうせ、ここでまともな会話など成立しまい。
「突然の登場で悪いが、自己紹介をするつもりは無い。とりあえず質問させていただく。答えによっては面倒な事になるから、正直に答えてもらいたい」
「いきなり何を」
「質問は一つだけだ。君たちの名は、そこのお嬢さんがマリア=セルロット。隣のお兄さんがヘイズ=ロートシルト。間違いは無いか?」
言いかけた女の言葉を無視し、一方的に質問をぶつける。剣呑な視線には気付かないフリ。
そして、俺の問いに、ターゲット二人はお互いに疑問の視線を向けながら、短く肯定の意を表した。
(情報は正しかった、か)
どうにも複雑な状況になってしまった。
実のところ聞きたかったのは肯定ではなく、否定だ。
指定の時間帯とポイントに、人が情報と同数いた時点で覚悟はしていたが、それでも、こんな訳の解らない情報は実現してほしくなかったし、実現した以上、これから厄介な事になるのは間違いない。
(けど、まあ……依頼を請けた以上、指定された行動はとらないとな)
そう、例えどれほど厄介な展開が待ち受けているとしても、依頼は依頼、仕事は仕事、だ。
自分たちは幾つもの死線を越えてきたプロだ。持ち合わせている職業倫理、とりわけ誇りと矜持といった不純物は一際強い。
それでも、今回はいつも以上に妙な依頼だったので警戒していたが、こうなった以上、もはや後には引けない。
(――ならば、全力で乗り切るだけさ)
胸中でそう呟き、ネメシスに視線で合図を送る。
それに応えるように、彼女は手に持った大鎌を、まるで手品の如く消失させた。
「……?」
突然武器をしまった故か、ターゲットたちは困惑の表情を浮かべるが、俺たちがプロなら彼らもプロ。無駄な争いなどしたくはないのだろう。
違和感を感じつつも、向こうから攻撃を仕掛けては来なかった。
「……で、あなた達、一体何なのかしら」
一瞬の逡巡。けれど、別に秘密にする事じゃない。ただ、彼らは酷く驚くかもしれないと思っただけだ。
マリアという女の言葉に、俺は空中から一冊の本を取り出し、躊躇う事無く答えた。
「魔術師さ」
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