(ちょっと待って。一体、何がどうなってるの?)
 私は混乱しっぱなしの頭を無理やり回転させて、この状況を把握しようとした。
 まずは現状を整理しよう。色々あり過ぎて、何が何だか解らない。
 切欠はそう、任務に失敗したことだ。
 そのせいでアカデミーに追われ、彼の手引きでこの森に脱出した。
 そのまま、この先のホームに帰還する予定だった。たとえ追っ手が気付いたとしても、この森でなら捕まる事無く逃亡できる。そう、安心したのが運の尽きだったのか。
 疲労で注意を怠った為に竜に見つかり、反撃したが力尽きて殺されかけた。
 けれど、私は生きている。それは、突然現れた、正体不明の咒法士に助けられたからだ。
 そして、名も知らぬ男と即興の連携で赤竜を倒した。
 そう、確かに倒したのだ。男の放った槍が、それはもう完膚無きまでに竜の脳髄を破壊した。どれだけ強靭な生命力をもつ竜だろうと、脳を貫かれて生きている筈が無い。けれど在り得ない事に赤竜は起き上がり、慌てて対処しようとした所で、更に状況を掻き乱す輩が現れた。
 乱入者は二人。彼らは空から、恐らくは崖の上から突如として現われ、マリアたちを襲おうとした赤竜の首を、その手に持った大仰な大鎌で切り落としたのである。
 もう、これが既に在り得ない。鎌を持つ人物は女であり、空中という踏ん張りも何もない状態で、しかし鋼鉄さえ上回る強度を持つ竜種の皮膚をまるで紙切れのように切り裂き、そのままあの太く硬い首は一刀両断だ。
(いや、流石にそれはどうなの?)
 馬鹿馬鹿しいにも程がある。身体を咒法で強化する特殊な咒法士であっても不可能だ。
 大陸最強の咒踏士、砕魔のガラン=カナンなどならまだしも。
 そして降り立った乱入者の一人。長く収まりの悪い、錆びた赤色の髪をした男は、いきなり私の名を問いだし、次に私を助けた咒法師にも確認を取った。
 ヘイズ=ロートシルトという名には聞き覚えがあった。練成士というカテゴリの内のワイルドカード。
 純粋な力量でも、当代の練成士では五指に入るとかなんとか。
 そんな人物がなぜこんなところにいるのか解らないが、フリーランスの咒法士なら、たぶん何かの依頼故だろう。
 こちらを助けたのは、どうやら偶然らしい事は雰囲気から何となくわかった。大方竜退治とかその辺だ。
 解らないのはやはり乱入者の二人。竜を叩き切った女は、その手に持った大鎌を手品のように消してしまった。そんなことのできる代物ではなかったはずだし、法具の観測に至っては推定不明の一言だ。
 あまつさえ男の方はこちらの問いに、更に訳の解らない返答を返してきた。

『魔術師さ』

 意味が解らない上に笑えない。
 魔術という言葉自体は知っている、概要もそれなりに理解していると言って良い。
 説明しろと言われるならこう答えるだろう。
 そう、この大陸に魔術は存在しない。
 全ての技術は咒法に集約され、魔術を行使する人間など存在せず、故に、その言葉は存在すら矛盾する。
 何故なら、魔術と咒法そもそも論理基盤が違うからだ。
 一見不可解であっても、一定の理論と対価に裏打ちのなされた咒法と違い、魔術とは完全に別系統の論理、“神秘”によって支えられる系統。
 故に、科学専攻のこの大陸において、魔術などという畑違いの代物はありえない。学ぶ人間がいないからだ。
 お祈りで奇跡を起こしてしまう大儀礼なんて、数字と文明の私たちとは相容れない。
 けれど、今大切なことはそんなことではなく。
(どうやら、ヤル気みたいね)
 自称魔術師にこちらが肯定の意を返した瞬間、彼は一瞬何かを諦めるようにかぶりを振り、しかしすぐにその瞳には別の色が広がった。
 それは、言うなれば覚悟の眼だ。厄介苦難を前に問うことを放棄し、乗り切る事を選択とした者の色。
(だから、考えないと)
 恐らく、闘争は避けられない。長い間戦いに身を置いてきたのだ、その程度の事は判る。
 この消耗しきった体で、最低二人、最悪三人を前に生き延びねばならない。
 正体不明の魔術師二人と、音に聴こえた練成士を前にたった一人で。絶望的とも言える逃走戦だ。
 しかし、
(諦めることは出来ない。さっきは運よく助かった、だから、何としても逃げないと)
 私には目的がある。それは、命を賭してでも達成すべき使命だ。
 故に死に場所はここではない。この命を消費する場所は他にある。
(だから、どうにかしないと)
 考えろ。考えろ。考えろ。
 必要なこと、必要なもの、必要な人。
 誰が敵で、誰が味方か。今だけで良い、利害がこの場で一致するなら、それは仲間だ。
 魔術師を名乗る乱入者たちは、敵対を避けられない。これ以上の第三者の介入は望めない。
 ならば、今必要なのは、
(私と貴方は、敵対する必要は無いはず)
 心の中でそう呟き、自分を助けた男、ヘイズ=ロートシルトを見遣った。
 すると、彼もこちらを見て、確かに頷いた。まるで、こちらの意図が解っているかのように。
 そして、何の合図も無く、しかし私たちは同時に行動を開始した。



Tale−Conductor−

Side A-
3



(敵に連携を取らせてはいけない)
 いくら共闘を結んだとはいえ、能力の詳細もわからない相手と本当の連携など取れはしない。
 だから、現状もっとも適切な連携とは、敵を分散させることだ。
 向こうに、個人以上の戦力を出させない事。
 故に、向かう先は東西、真逆方向に向かって走り出す。
 そして私は、ヘイズが東へと向かう寸前、ポケットから取り出した一枚のカードを投げ渡した。
 受け取ったヘイズは、一瞬怪訝そうな表情をしながらも頷いて、木々の陰へと姿を消す。
 それを見送る事などはもちろんせず、カードの行方も半ば無視して駆け出した。
 こちらの行動を見越していたのか、乱入者――もとい、襲撃者二人はすばやく散会し、個別に追跡を開始する。
 それを感じながら、私は心の中で呟いた。
(全く……厄介なことになったわ)



 一体どれくらい走っただろうか。
 そろそr体力の限界を感じる。
 それほど長距離を走った訳ではないが、咒力の極端な消費は、体力に影響が出る。
 重力を軽減化すれば負担は減るが、戦闘に必要な分を消費してしまっては本末転倒だ。
 だから、私は咒法による補助を使わず、その身だけで逃げている。
 追跡者も同様なのか、はたまた魔術だからなのか、法珠は何の反応も告げていない。
(そろそろ、良いかしら)
 逃げ切れるならそのまま逃走しようと思っていたが、どうやら追跡者も体力には自信があるようだ。
 それどころか、こちらが体力を切らすのを見越して、わざと全力を出していない感がある。
 このままではジリ貧だ。幸い、この周辺にはもうマリアと追跡者の二人しかいない。
 向こうが上手くやってくれたことを確認し、その足を止めた。邪魔は、もう入らない。
 それに気づき、襲撃者も足を止める。
 そこへ、
(先手――)
「――必勝!」
 こちらの消耗を計算していた追撃者にとって、停止から突然の反転は、それこそ奇襲としての意味を持つ。
 敵の能力は解らない。しかし、今の私に、遠隔攻撃は荷が重い。
 だから、危険は承知で飛び込み、故に最低限の危険で倒したい。
 重力を僅かに操作。身体を縛る重圧を、身体を補助する外力へと変換する。
 前方に向かって落下する感覚。スピードを上昇させた私は、既に襲撃者への距離を二メートルまで縮めていた。
 足を止めた襲撃者に、瞬間的な回避は不可能。そして、意表を突かれた襲撃者に複雑な迎撃も不可能。
 ならば、ここでくる最も確率が高い迎撃は、
(単純な物理攻撃!)
 果たして、予測は的中した。
 演算機関が察知した攻撃は、上段、右斜めから袈裟懸けにこちらへと振るわれる、ナイフ大の刃物。
 この程度のスピードなら受け流した後反撃できる。残り時間から言って、襲撃者に二撃目は存在しない。
 勝った、と内心で呟く。決定的な機会はただ一度。しかし、人ひとりを無効化するのに、それ以上のチャンスは必要ない。
 そして一歩。後一歩でこちらの一撃が届く。その間に振るわれる敵の刃を、私は手で受け流そうとして、
『正体不明の超高密度流体情報を感知・――クラスS・危険危険危険危険危険――!!!』
 突然発せられた法珠からのシグナルが神経を貫いた。瞬間、私は確信した勝利を含めた、ありとあらゆる思考を放棄して身を投げる。
 敵に踏み込もうとしていた足を強引に倒し、崩れながら身を傾け、同時に斥力――ものを遠ざける力を発生させて、力任せに身を飛ばす。身体に対する遠慮は、自分の体であっても無視した。そんな暇は在り得なかった。
 崩れた体勢で吹き飛び、木の幹に強く体を打ちつけ――しかし、それでも私は回避に成功した。痛みに顔をしかめながらも、思わず安堵が胸を満たす。
(――な、なんで、こんなところで)
 クラスS。法珠が発する警告の中で、問答無用のハイエンド。全てを放棄してでも優先すべきその命令。
 絶体絶命のシグナルを、私は人生で初めて体験した。
「ふむ……随分と、勘が良いな。腕一つも貰えなかったか」
 呟かれた声音は高音。鈴の鳴るような涼やかなそれは、女性。
 それを聞いて、私は襲撃者が大鎌を持っていた人物だと知った。マリア達の名を問うた男は、ヘイズを追って行ったのだろう。
 そして思い出す。この女は、あの硬い竜の首を、ただ一太刀で切り落とした女だということを。
(そりゃ、できるでしょうね)
 クラスSとは、通常なら準戦略級以上の咒法、大規模殲滅用の力を秘めた代物に対して発せられる。
 国防庁の探知装置でも、そう何度も感知するようなものではない。何故なら、それを感知した時点でその拠点は消滅しているからだ。
 戦争でも使われる事は稀なほど。実際、放った方も巻き添えで消滅している場合が多い。
 そんなものを手を振るうだけで起こせる人間なら、竜の首程度は片手で落とせることだろう。もし、あのナイフを受けていたら、私は知覚する間も無くこの世から消えていたかもしれない。少なくとも、防御という概念が通じるモノだとはとても思えない。
 先ほど自分を混乱させた一つの問題は、ここに解決された。
 簡単な話だ。
(この女は、それくらい……強い。たった、それだけの事)
 絶望が足を掴んだ気がした。単純な解答は、最も覆し難いほど強固だ。
 けれど諦めはいけない。そう簡単に命を放棄してはいけない。
 確かに敵は強力だが、自分が取った戦法はこの上も無く正しかった。
 突然の奇襲だからこそ、この女はあのような粗末な迎撃しか放てず、故に自分は致命の攻撃を軽傷で避け、敵の危険性を理解する事ができた。
 敵が強いと解っていれば、方法はある。
 現状、恐らくこの追跡者に勝てない。ありとあらゆる優位を計算しても、現状では不利が多すぎる。
 けれど、こちらの目的は勝利ではなく、逃走だ。逃げ切れれば、倒せなくても構いはしない。
 思考を必死に回しながら立ち上がる。それを、襲撃者は黙って見ていた。
 現状の優位による余裕故か、それとも単純に自信があるのか。
 両方と推測するが、とにかく焦って攻撃してくる素振りは見せない。
 慎重を期されるのは不利だが、それでも私には有難かった。体を休め、思考を続けることができるのだから。
(隙を作って、逃げる。咒法師でないのなら、視界から消えてしまえば追跡されない、はず)
 希望的な観測だったが、今はそれに賭けるしかない。短時間で良い。敵の動きを封じ、その隙に逃走すれば、森と夜の闇が味方をしてくれる。逃げ切って咒力を回復させれば、再戦しても勝機はあるだろう。
 そして、問題は、
(どうやって、動きを封じるか、ね)
 いくつかのシュミレートを脳内で行う。
 魔術師と名乗るくらいなのだから、咒法に対しての理解は薄いはずだ。そも、この国の人間ではないのだから。
 対咒法士戦において最も必要なのは判断力。それを支える知識を、幸いこの敵は持たない。
 法珠の補助により、極めて短時間で適切な行動を構築できた。
 後はそれを実行するだけだ。私は体勢を整える。
 そのとき、追跡者と目が合った。途方も無く深い黒が私を射抜く。綺麗だ、と何となく思った。
「お祈りは終わったか?」
 優位に位置する者の常套句。それを、私は鼻で笑う。
「神様に? 残念ね、私は死ぬつもりなんて毛頭無いわよ?」
 そう、ここで死ぬ訳にはいかない。そして、十分に逃げ切れる可能性はある。故に、その言葉は虚勢ではない。
 しかし、こちらの返答に、襲撃者は予想外の返答をした。首を横に振り、そんな事など解っている、というような表情で。
「――いいや。神には祈りなど届かない。それはただ、自身の決断を支えるもの。どんな戦場でも、頼るのは己であるべきなのだから」
 妙な言い回しだと、思った。けれど、嫌な気はしなかった。
 それは、相手を対等の相手として迎える言葉だから。
 己への祈りとは、全ての者に共通する概念に他ならない。目前の女も、その点だけは変わらない。
 圧倒的優位でありながら、そのようなセリフを吐く人間は珍しい。そして、私はそういう珍しさが嫌いではない。
 だから、それは礼のようなものだ。そして、純粋に興味が湧いた、という意味でもある。
「貴女、名前は?」
 女は一瞬躊躇った後、しかし真っ直ぐに顔を上げて告げた。
「ネメシス=コールライト。しがない、ただの死神だ」
 そして、右手に持ったナイフを、構えた。




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