背後から高速をもって急襲する正体不明の弾丸を、演算機関である法珠の軌道予測を頼りながら回避し、追尾してくる三本の刃を木の幹を盾にして防ぐ。
 返礼。構成した七本の鉄矢を、全て的中する軌道とスピードで掃射した。
 時間差と速度差を設定され、順次敵の足を阻むように放たれた鉄矢は、けれどどれも軌道の半分を過ぎた辺りでは全弾撃墜され、元の追跡戦だけが繰り広げられる。
 そんな小競り合いが三合ほど続いたところで、俺は足を止めた。
(そろそろ、良いだろう)



Tale−Conductor−

SideB-3




「鬼ごっこは終わりか?」
 足を止め振り向いた俺に、追撃者は気だるそうな声音で言った。
 錆びた赤色の髪と、色素の薄い肌。魔術師と名乗った方だった。
(あの死神めいた女は、向こうを追ったのか)
 大鎌を持った女。どういう原理か知らないが、あの切断力は尋常ではない。
 近接戦闘であの大鎌は、恐らく相当な脅威だろう。少なくとも、俺の創る防壁でアレが防げたとも思えない。
 次いで、自分が助けた女の事を思い浮かべる。
 それなりの技量は持っているようだったが、どういう訳かどうしようもなく消耗していた。
 あの死神に対して、あの体で逃げ切れるだろうか、と微かに思う。
 が、その念は一瞬で消え去った。他人の心配をしている場合ではない。
 先ほどの数合で解った事だが、目の前にいる魔術師の使う攻撃は、全く得体か知れないのだ。
 通常の咒法なら、敵が使用した時点で、その性質はある程度法珠が把握する。
 例えばそれは形状、速度や属性だ。
 しかし、先ほどから敵の攻撃に大してこちらの法珠が返す反応は、"正体不明"の一言のみ。
 解析ができないという事。それは、敵の攻撃が咒方では無いという事だ。
 未知の力を前に油断など言語道断。今危機に立たされているのは、俺も全く同じだった。
「何が目的だ」
 静かに問いかける。この正体不明の敵の情報が、今はとにかく欲しかった。
 その問いかけに、男は困ったように返答する。
「あー……悪いが、それには答えられない。そういうのは他言無用がルールだし、俺自身、詳細は知らないんでね」
 そう言って、肩を竦めて誤魔化すように男は笑う。
 しかし、その言葉から、いくつかの情報が読み取った。
「なるほど、同業か」
 ルールがあり、そして詳細は知らない。なのに、こちらを襲わなければならない理由。
 そこから推測するに、他人の依頼である、という可能性が最も妥当。
 名前を確認してきた事から見ても自分、そして恐らくマリアとも、全く関連を持ち合わせてはいないのだろう。
 ならば、と思う。
 目の前の男には依頼という理由があるのだろうが、こちらが相手をしてやる義理は無い。
 俺は殺人嗜好者ではない。無益な殺人は元より、無駄な闘争も避ける性質だ。
 だから、決断は迅速だった。
(――さっさと逃げよう)
 金にならない殺しはしない。必要なら殺しもするだろうが、簡単に殺せる相手でもない。
 最も無駄が少ない結論としての、逃走。矜持に触れる訳もない。
 「うーむ……しかし、質問をされて、何も答えないというのも礼儀に悖る気もするな」
 唐突とも言えるタイミングで、目の前の男はそう言った。
 妙な事を気にするヤツだと思うが、見れば、本気悩んでいるような表情。もしかしたら、馬鹿なのかもしれない。
 いきなり襲ってきた人物だというのに、その姿を見て毒気が抜けるのが自分でも分かる。
 だから、それは純粋に助けてやろう、という意味で問うた質問だった。
 答えられる質問をしてやろう、と。
「じゃあ、名前を聞いておこうか。そちらだけが知っているというのは気分が悪い」
 そう言うと襲撃者は、それは名案だ、という表情を浮かべて頷いた。
「ルシファ=ストラトス。故あって本名は捨てたので、今はこれで通している」
 そう告げて、さらに言葉を続けるルシファ。

「先ほども言ったとおり、俺は魔術師であって咒法師ではない。この大陸に来たのはつい最近で、実のところ咒法というモノはあまり良く知らない。生粋の魔術師なのでね。逆に、君は魔術というモノを知らないだろうから、この辺りはまあお互い様といった所だろう。ちなみ、俺が使う術は少々特殊なので、俺を見て魔術というモノを判断するのはやめた方が賢明かも知れないな。まあそれはネメシスも同じだから、結局君たちは魔術というものを本当の意味で知る事は、今回は出来ないだろう。ああ、ちなみにネメシスというのはさっき俺の隣にいた超絶美人な彼女の事なのだが、自称で死神と名乗るのは止めた方が良い思うのだが君はどうだろうか?」

「知るか」
(喋り過ぎだ)
 うんざりした俺の返答に、ルシファは肩を竦めて笑う。
 そして、手の本をパラパラと広げて、笑みのまま告げた。
「じゃあ、殺し合いをしようか」
 その一言で、弛緩しかけていた雰囲気は完全に霧散した。
 瞬時に空間を走る一閃は二条。色彩は銀と蒼。共に、俺たちが同時に放ったものだ。
 それらは互いの軌道を塞ぐような事はせず、主にも構わずに敵の咽元を切り裂く為に疾駆する。
 しかし、急所へと向かう二条の刃は、片方は具現した銀剣に切り払われ、もう片方は何の前触れも無く中空に霧散した。
(何だ、今のは)
 ルシファが放った正体不明の蒼条を切り払った銀剣を手に、何故かにやりと笑う敵を視界に納めながら、俺は内心で問う。
 こちらの放った鉄矢が阻まれた、それは良い。
 しかし、
(構成を解体された?)
 物体として固定していた流体が、ルシファの至近に近づいた瞬間、強制的な力にさらされ解体された。結果、銀の矢は物体から流体へと格下げされ、無効化。
 それは、俺が最も得意とする技であり、そして、他人には成せない筈の技である。
(妙な仕掛けがあるな)
 先ほどルシファは言ってた。自分の魔術は少々特殊だ、と。
 何らかの、特異能力を持っているのかもしれない。
 厄介だと思いながらも、攻撃の手を止めない。 
 瞬時にして構成した矢は十七。先ほどこちらの矢を撃墜していたところから見ても、全てを先ほどの妙技で消されるとは思わない。
 全てに時間差、速度差を設定。掃射のタイミングはほぼ同時だ。
 放たれる矢は、最高速のそれであっても銃器の弾丸より遅い。しかし、人間程度なら蜂の巣にできるくらいの威力は秘めていてる。
 そして、それだけでは終わらない。
 弾幕に隠れるように、俺はルシファの元へと接近する。
 見た限り、向こうの砲撃能力はこちらのそれとほぼ同等。射撃戦では埒が明かないし、妙な技を持つ向こうが上を行く。
 だから、決めるなら支配領域内で勝負する必要がある。危険だが、接近するしかない。
 それを見取ったか、ルシファ何か一言呟いた。
 と、同時に発生する十七の蒼条。
 それらは、俺が放った同数の鉄矢を迎撃する軌道で駆ける。
 ――しかし
『追加命令・形状変更』
 高速演算で式を組み替える。十七本の銀矢、その最後尾。未だ俺の領域内に存在するソレの構造を再構成する。
 矢として作られていた筈のソレは、しかし他の十六の矢と同じように、蒼の一撃に相殺され破片を周囲に飛び散らせる瞬間、その影を弦へと変えた。
「……ん?」
 それを見て、ルシファは疑問の表情を浮かべる。そちらの方は、彼にはできない芸当だったのか。
 しかしそんなことには構わず、捕らえた蒼条を手に取り、法珠を使用して解析した。
 結果、
「氷、だと?」
 そう、それは紛れも無く氷で出来ていた。
 今までじっくりと分析する隙が無かったから、分からなかった。
 が、温度や比重、透明度を分析しても、それが純粋な氷である事が証明される。
 怪訝な視線をルシファに向けると、彼は苦笑いを浮かべて口を開いた。
「はは、系統が違っても、調べられればバレるのか。ああ、そうだ。俺が使用するのは氷を媒体にした術。いや、正確に言えば、概念の冷気だ。故に、こんな事も出来る」
 そう言うと、唐突にルシファは手で左眼を覆う。そして、残された眼でこちらを見た。
 目が合う言い知れぬ悪寒が全身を駆け抜けた。
 逃げなければならない。そう本能が絶叫した瞬間、

「動くな」

 ――ピタリ、という音が聞こえた気がした。
(な、に……?)
 動くなと言われたからといって、本当に止まらなければならない理由はない。
 そんな当たり前のことを考えるまでもなく、俺はその言葉を無視した。
 しかし、にも関わらず、
(体が、動かない)
 そう、それはまるで、金縛りのように。
 ただ睨まれ、一言告げられただけで。
 しかし……ただ、それだけで、俺の全運動能力は停止していた。
「言っただろう。俺は少々特殊だと。普通の魔術では、こんなことは出来ない」
 片目を覆った手を外し、静かに言いながら、ルシファはその歩みをこちらへと進める。
 半ばそんなルシファを無視し、焦燥を生みながらも、俺は思考を加速させた。思わぬ窮地を打開する術を模索する。
(法珠の反応はある。が、どうやってもこの束縛が外れない。……くそ、系統が違うからか!)
「熱は物質の分子運動を加速し、逆に、冷気は物質の分子運動を低下させる。それは君たちの方が詳しいかな」
 静かに。ゆっくりと。まるで、獲物は逃げない、とでも言うように。
(落ち着け。思考を乱すな。冷静でなければ咒法は使えない。咒法師の本当の武器は、流体操作などでは無い)
「けれど、それがどういう神秘を持つか、君たちは知らない。冷気の行き着く先は絶対零度だろう? その世界では、ありとあらゆる存在は停止するが」
 そう、世界は停止していた。ただ一人を絡み取り、閉じる世界として。
 世界に囚われた中、唯一自由である己の頭脳を頼る。
(思考は可能だ。法珠は起動している。俺はただ、動けないだけだ。ならば、ならば問題は無いはず)
 思考を続ける俺を他所に、ルシファはその歩みをゆっくりと進める。
 いつの間にか、その手には一冊の、雪のように白い本が握られていた。
「俺の術は、その概念そのもの。停止の加護が記されたこの魔術書は、世界を白く染める力を、ただ一色に固定する力を持っている」
 そして、ルシファは足を止めた。俺の1メートルほど前方で。
 そこに、勝機を見た。
(いいや、これは好都合だ。そう、咒法の起動に問題は無い。そして既に、種は撒いている)
「ホワイトノイズ。白く冷たい雑音、全てを狂わせ停めていく――それが俺の魔術さ」
 そう言って、ルシファは一つの刃を作り出した。
 蒼く透明で、鋭い刃。氷の剣だ。ただ鋭いだけの、脆く儚い白の剣。
 その剣を掲げ、しかし、怪訝な表情で問うた。
「何故、笑っている?」
 そう、絶対絶命である筈の俺が浮かべるのは、恐怖ではなく、笑み。
 その問いに、俺はこう答えた。
「簡単な事だ。お前は俺の目の前にいる。なら――」
 そこで一度言葉を切り、胸中で呟いた。
(この距離なら、外しはしない)
「――俺の、勝ちだ」
 瞬間、停止した世界を、銀の檻が包囲した。




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