Tale−Conductor−

 Other-
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 そうして走り去った彼らを、私は二人組みが飛び降りた崖の上から見つめていた。
 陰に潜み、気配を遮断する私は終ぞ彼らと言葉も矛も交わすことはなかった。魔術師と名乗る得体の知れない二人組みはともかく、周囲の情報を探査できる咒法士達――ヘイズと呼ばれた練成士と、そして何より、歪とさえ称される空操士、マリア=セルロットが何の反応もしなかったのが、意外と言えば意外だった。
 それだけ余裕がなかったということだろうか。
 登場人物が全て退場した舞台、その見下ろす先にただ一つあるのは、脳を槍で射られ、その首さえも死神に絶たれた哀れな竜の屍骸だ。
 一度は死を越え立ち上がったようにさえ見えたその化物は、しかし身動ぎもせずただ屍を演じ続けた。
「――――ハァ」
 僅かに息を吐いて、木の陰を抜ける。崖の先に立ち、私は糸を取り出した。
 目には見えぬ、不可視の弦。思考に忠実に蠢くそれを、木々の幹に絡め、私は躊躇せず飛び降りた。
 重力が働く。一瞬の浮遊感を経て落下。生身の人間が落ちれば無事では済まない距離を、動かない意識の中で把握する。
 そうして、この身が地面へと叩きつけられる瞬間――完璧な計算によってあらゆる力は分散され、コトンという足音一つを鳴らして、先ほどの誰かたちのように降り立った。
 残るのは、僅かに揺らいだ木々のざわめきと、小さく樹皮に食い込んだ弦の摩擦音。
 それらを気にも留めずに、私は赤い屍へと歩を進める。
 光のない瞳。胴から切り離され、地面をその身のように染めた竜の首は、何の感情もなくただ夜を見つめている。今は流体へと戻った槍に潰された眼窩は、遥か先の空にある白い深淵のように荒涼だった。
 僅かに唇を噛む。あらゆる生命が平等でないことを、私は身を以って知っている。それを踏まえた上でその命を遣い捨てた、躊躇のない非情。私自身の罪悪、それから目をそらす事だけはしないと、いつか遠い日に誓った。
「――――ごめんなさい、とは言いません」
 謝罪は、それこそ傲慢というもの。生命は平等ではない。任務中に適役を見つけたから、ただ利用しただけ。どうせその場で死んでいた器を、ただの物差しとして使っただけ。
 仕事の論理によって、それらの正当性は十分に証明される。他人にではなく、自身に対して。だからこそ、ただ一言の追悼も口にする事無く、私は己が罪歴にその一行を書き加え、頭蓋に穿たれた穴に手をかざす。
「せいぜい、恨んでください」
 渇いた口調で呟きながら、糸を操る。深淵の先、もはや機能しない脳に侵入した小さな針と、糸。手の上で踊る糸と全く同じ波長を放つそれらを、私は眼窩の先から引き抜いた。
(――任務、終了)
 この森で行うべき事は今し方全て終わった。この竜をこれから先、どこかの誰かがどれだけ調べようと、私に行き着くことは有り得ない。ただ、脳を破壊され、死後さらに正体不明の力で首を断ち切られた竜の頭だと、生体反応が検出されない傷から判断されるだけである。
 ピピっと、竜が眠る森の空に、悲しいほど場にそぐわない安っぽい音が響いた。
手に収まるほど小さく簡素な……しかし世界中のほぼあらゆる場所で使用可能な咒式通信機を手に取る。通話以外に機能がないゆえに、はじめてそれを手にした者でも、おそらくはそれがそうだろうとあたりをつけられる通話スイッチを押した。
「こんばんは、イルミナ。進捗状況はどうかしら?」
 息を呑む。声の主は、いわゆる私の上司。彼女が任務の進捗を問うこと自体は当たり前だし、気になれば連絡の一つでも遣すかもしれない。けれど、あまりにもタイミングが良すぎるのではないか。
 もしもの場合でも気取られないよう、細心の注意を払って周囲をサーチ。半径六百メートル内の全領域から人間のみが発するパターンを検索する。
 瞬時に弾き出した結果は、無人。生命、こと人間を判別する能力に置いて私の右に出る者はいない。この範囲内に人間が一人もいない事だけは間違いがない。
 監視者がいるなら、最低でもそれだけの距離があることになるが、私の探査能力外からこちらを把握できるような探索者シーカーが、現在この区域にいるという報告は受けていない。
 そうなると偶然と判断できるのだが……しかし、内密で監視がついている可能性を排除できるほど、お互いに信頼も信用も持っていない。そして、我が上司は信頼できない者を野放しするほど愚かではない。
「――申し訳ありません。セルロットの捕獲に失敗しました」
 だから、例え失態であろうとも、誤魔化すのは得策でないと私は判断した。
「あら? 優秀な貴女が、あんな死に損いのお嬢さん相手に後れを取るとは意外ね。報告はそれで以上なのかしら?」
 僅かな揶揄を滲ませながらも、何らかのイレギュラが発生したことを上司は察した。部下の失態という場面において、状況把握を優先させる判断力は彼女の優秀さを証明している。或いは、監視していることを隠して私を試しているのか、どちらにしても喰えない人物だった。
「いえ、二つほど想定外の事態が発生しました。ここで報告しますか?」
 一連の推移を瞬時にまとめ、私は平静を装って声に出す。好きな人物ではないが、敵意はできるだけ隠さなければならない。――尤も、この上司なら私の感情などお見通しであろうが。
「二つとはまた慌しいわね……ええ、お願いするわ」
 知ってか知らずか、飄々と彼女は言う。私も感情を交えず報告を口にした。……私が見た、目を疑うような顛末を。
「はい。……まず一つ目は、対象であるセルロットが、森に生息していた魔獣に襲われました。その折、どういう経緯かは解りませんが、突然現れた咒法士が対象を救出し、魔獣を撃退した模様です」
 意外だったのだろう、僅かに戸惑いを表したあと、上司は咒話器越しに詳細を問う。
「いまいち良く解らないことになっているわね……報告して。その魔獣とは?」
 足元の死骸を横目で見ながら、赤い竜種です、と私は答えた。
「ふむ……それは、別の報告で駆除要請が上がっていたモノね。これから何とかする予定だったのだけれど――まぁいいわ。仕事は少ないほどいいのだし、報告の続きを」
 その言葉に、私は一瞬息を詰めた。報告していいものか……と、一瞬いらぬ判断が過ぎった為だ。
「どうしたの? イルミナ。私は続きを訊いているのだけれど」
 はやく教えて? と、先を促す上司の言葉に、私は見たものをそのまま話す事にした。監視されている可能性さえあるのに、意味のない偽証をする訳にもいかないからだ。言葉の調子通りの女なら、彼女は今の席についていない。
「それが、件の二人が魔獣を撃退した時、気取られないよう隠蔽しながら弦を放ったのですが……その折、妙な邪魔が入りました。彼らは二人組みの男女で、私の咒法ごと魔獣を真っ二つにした後、」
 そこで、言葉を刻む。間違っていないか、本当にこれでいいのかと記憶を反芻した。けれど、どこにも曖昧な箇所はない。記憶操作の咒法など私には効かないし、それを行使できる者は極めて少数だ。だから、私は自分の記憶を信用した。
「彼らは、魔術師と名乗りました」
「……は?」
 今、なんて? と聞こえた気がしたが、我が上司はそんな間抜けな返答を、自分に許しはしなかった。実際彼女は黙り込み、数秒後頭痛を堪えたような声音で言う。その間に、彼らが散開して逃走したことは伝えた。
「解りました。いえ、正直理解はできないけれど、確かに報告を受けました。――ただ、一つ質問があります」
 やはりきたか、と私は声に出さずに呟いた。苦虫を噛み潰したような気分で上司の言葉を待つ。

「なぜ、全滅させなかったの?」

 あぁ、と静かに息をつく。……当然、そういう話になるだろうとは思っていた。
「例え相手がマリア=セルロットであろうと、竜を駆逐できる咒法師であろうと、この大陸にはまず存在しない魔術師であろうと……貴女なら、勝てるのではなくて? 丁度使い易い手駒もいたのでしょう? 他三名程度なら、どうとでもなると思うのだけれど。何故、彼女の逃走を阻まなかったのかしら?」
 この人物にしては珍しい、何の悪意もなく揶揄も含まない純粋な疑問。しかし、それを答えるのに、私は吐き気にも似た感覚を伴わなければならなかった。
「……り、です」
「え?」
「無理です。私には――不可能でした」
 はっきりと答えた。あまりにも簡潔で、だから私の小さなプライドさえゴミ屑のように。
「ちょっと、どういうこと? 貴女は、それはやり方にもよるけれど……私の知り得る限り最高戦力の一つよ? それが、不可能だと言うのね?」
 僅かな焦燥を声に宿して、上司が問う。この様子だと、どうやら私への監視は無いか、いたとしても映像のみを扱うシーカーだったようだ。どちらにしろ、彼女はあの規格外については何も知らないらしい――。
「はい、不可能です。どうしようもありません。何故なら、」
 口にした声音で、自分がまた震えている事に気がついた。けれど、どうしようもない。みっともないとさえ思えない。だって、だってあんなに恐ろしいモノを私は。

「たった一振りの大鎌で、何の戦術兵器でもないただの武器で……クラスS相当の破壊を行使するような、その様な悪魔を――たかが、たかが竜一匹操っただけで相手にできるはずが、ありません」
「――――」

 今度こそ、絶句が返って来た。無理もない。自分が口にした事が如何に馬鹿げているかなど解っている。都市一つ、戦場一つ焼払ってしまうような、そんな破壊を内包した一撃を、ただ一太刀振るうだけで行使する。あの斬撃がもし単純な破壊を目的としたものだったなら、竜どころかこの森そのものがこの地上から消えている。
(つまりは、ただ相当する、ということ)
 威力ではなく性質によって判断されただけのそれが、一体どのようなものなのか想像もしたくない。どちらにしろ、まともに受ければ分子一つ残る保障のないような代物なのは確かだ。もう目の前にはいないのに、思い返すだけで震えが止まらない。己の高度な解析能力が、今はただ恨めしい。私は、確かにあの時……あの大鎌に内包された出力を法珠によって検出したとき、死を覚悟したのだから。
「……その人物たちの、素性は?」
 生気のない声で上司は問う。私の報告が、これから先自分たちの計画にどのような障害として現れるか、例え関連性も未だ把握できていない、未来に起こる可能性の一つに過ぎないとしても、それでも必死で考えない訳にはいかない彼女の心境は理解できた。
「魔術師を名乗る二名で、今の報告で上げたのは大鎌を持った女です。もう一人、一緒に現れた男も、どちらも名は名乗りませんでした。この二名については完全に詳細不明です」
 ふむ、と難しい声音で返し、続きを促す。残る一人は、流石に私でも心当たりがあった。
「最後に、セルロットを助けた咒法師は、ヘイズ=ロートシルトという練成士です。音に聞こえる名ですから、かなりの実力者だと思います。彼と対象だけでも、現状の私一人では難しい印象を受けました。ただ、少なくとも彼ら四名のうち、仲間なのは魔術師を名乗った二人組みだけだと思われます。セルロットとロートシルト両名に敵対的な面もありました」
 以上です、と私は報告を終えた。この情報をこれからどう生かすか、正確には私をどう動かすかは彼女が決める。私はそのまま上司の返答を待った。
「解りました。魔術師二人については私自らが調べます。貴女は――」

 そうして、任務を受けた。正確には、平行して受けていた任務の続行である。
「解りました。直ちにクロスに戻り、エレノーラと接触を図ります」
 では、と答えて通話を終了した。
 彼女が口にした地名を、私は頭の中に浮かべた。この森を抜けて半日程度の距離にある大陸の要所、交易都市クロス。セルロットの逃走経路の一つ、このウルザの森を私が任されていたのは、彼女がここに逃げ込んだ時、前方から挟撃する為であった。尤も、彼女を追っているはずの捜索班の姿は一向に見えなかったが。
 私は、今まで辿ってきた道を戻り始めた。セルロットがクロスに向かっていると仮定した場合、それほど猶予は残されていない。
 急ぎ足で暗い道を進み……ふと、意識もせず背後を振り返る。月光りに静かに弔われている竜の骸が私を見送っていた。それを見ても、私にはどうしようもない。私が戦うにはそういう方法しかないのだから。
 上司の指示を思い返す。シフォナ=エレノーラ、私の罪状の一つとなるその名を。彼女に接触し、そして……。
 一瞬目を伏せ、しかしすぐに前を向いて歩き出す。時間を無駄にしている場合でないのだから。
 けれど私は足を急がせながら、今度も後味の悪い任務になりそうだ、と呟いた。



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